大和悠河のパリから贈るエトワール紀行 ~ロマンチックに紡ぐ魔法~⑩

無垢と欲望の交差 ――『ファウストの劫罰』少女を魅了する瞬間

東京二期会でのフランス作曲家ベルリオーズ作曲『ファウストの劫罰』を観ることは叶わないと思いながらも、私は心の中で、パリで躍進中、そして東京二期会でもお馴染みのフランスの指揮者マキシム・パスカルさん、そして池田香織さんの純真無垢な資質がマルグリートにぴったりだという確信に思いを馳せていました。そんな想いを胸に、シャンゼリゼ劇場で幕が上がる瞬間を、期待と高鳴る胸とともに待ちわびていたのです。

劇場Théâtre des Champs-Elysées 休暇

近年、特に私の関心を強く引きつけているのは、バンジャマン・ベルンハイムがファウスト役で出演していることです。彼は2024年のパリオリンピックの閉会式で歌って以降、さらに世界的に躍進していますが、私が特に惹かれるのは、彼がアルフレードを歌うと、数々の名歌手では見たことも聞いたこともない、まさに「THE PARISなアルフレード」になることです。そこが最高に面白く、私が心からチェックしているテノールです。私はオペラ歌手としてのテクニックの完成度の高さに加え、フランス語を母国語として持つ歌手に最も感心を抱いています。そのひとりがバンジャマンです。

そして、ファウストという存在について、私は十五歳の時、宝塚音楽学校に入学後、歌の練習でシューベルト作曲、ゲーテによる「糸を紡ぐグレートヘン」に取り組んでいました。そのとき私はちょうどリアルなマルグリート(=グレートヘン)と同じ年頃で、ファウスト(=ゲーテ七十歳くらい)の存在を思い描いていたのです。当時すでに私は男役だと自覚していましたが、ファウストを演じるなど、雲の上の世界のことでした。グレートヘン(マルグリート)は自分と同じくらいの年齢だからこそ、ファウストを読むとき、年齢差の大きさに思いを馳せた記憶があります。40歳を過ぎたバンジャマンの舞台は、少女を夢中にさせるにはあまりにも適しているだろうなと、にやにやしながら初日を心待ちにしていました。

劇場Théâtre des Champs-Elysées 休暇

ゲーテの『ファウスト』に基づくと、マルグリートは十七歳前後、初めての恋に心を預け、純潔さと脆さを併せ持つ少女です。まだ人生を知らない年齢で、彼女はファウストの〈知〉と〈欲望〉を、そのまま映す存在として描かれます。ベルリオーズの『ファウストの劫罰』において、ファウストは単純な誘惑者ではありません。老いを知り、知性と時間を引き連れた存在。理解してしまったがゆえに、なお欲してしまう男性です。矛盾を隠さず生きる男だけが、結果としてマルグリートの無垢を揺るがしてしまう。この少女を夢中にさせるのです。今、この役をやったら最高なテノールだろうと私が思っているのがバンジャマン・ベルンハイムです。

モンテーニュ通りではイルミネーションを作り始めているシャンゼリゼ劇場で、『ファウストの劫罰』の幕が上がった瞬間、フランスの真髄に触れる体験をしました。

シャンゼリゼ劇場 Théâtre des Champs-Elysées

マルグリートが母に睡眠薬を飲ませ、密会を重ね、その結果として母の死を招く出来事は、「無垢な少女に欲望を投影する」男性側の想像力、男性幻想が生み出した世界の歪みを静かに露わにします。だから私は、ファウスト役のテノールに最も厳しい視線を向け続けています。年齢を重ねた男性としての存在感がどこまで舞台に立ち上がるか。少女を夢中にさせてしまう高齢ファウストの存在感を、説明ではなく「空気」として立ち上げられるかどうか。それがバンジャマンに寄せる私の期待でした。私がオペラの舞台のテノールに探し続けている一点です(笑)。

初日の余韻を胸に、もう一度この舞台に触れたいと、私は11月12日にも再び劇場へ足を運びました。しかしその日は、バンジャマンは体調不良のため降板し、代役による上演となりました。

シャンゼリゼ劇場を出ると、モンテーニュ通りのイルミネーションが輝く夜で、今年もひときわ際立つDIORをはじめとするメゾンの光が並び、シャンゼリゼ大通りでもクリスマスの始まりを告げるイルミネーションが次々に輝きはじめていました。エッフェル塔を背に、シャンゼリゼ劇場からの余韻を抱えたまま歩くパリの夜は、現実と舞台の境界が溶け合う時間です。

シャンゼリゼ劇場 Théâtre des Champs-Elysées

翌朝、パリは吹雪が吹き始め、シャルル・ド・ゴール空港出発の飛行機が3時間遅れながら、今年初めての雪が降るパリをあとにし、フランクフルトへ向かいました。目的は、東京二期会で私がオペラデビューをした際にご一緒した演出家ペーター・コンビチュニー氏が手がけるオペラ『影のない女』初日をボン歌劇場で拝見するため、そしてプレミエパーティーに出席するためでした。

幕が開くと、演出という行為がいかに作品の核心に迫り得るかを強く印象づけられました。とりわけ展開される関係性の描写は、舞台が持つ可能性を極限まで押し広げ、日本発上演の同オペラとはあまりに異なるものでした。宝塚時代に男役を生きてきた私には、特に、ベッドシーンにおいては圧倒的で、想像を超えて激しかった(笑)。

——つづく

文◇大和悠河 写真提供:(株)GOOGA

大和悠河のパリから贈るエトワール紀行 ~ロマンチックに紡ぐ魔法~

宝塚トップスター・女優・大和悠河 が紡ぐ、伝説の都からの最新アートのトキメキとカンゲキのクロニクル。
『えんぶ☆TOWN』連載では、大和悠河が石畳のパリで感じた街の鼓動や、心温まる出会いから得た感動、その感動から生まれるインスピレーションで、あなたの日常に新たな光を注ぐことでしょう。
大和悠河の感性と情熱が生み出す独自の美学―既成概念を超える『C調と遊び心』―が、未知なる芸術の航路へとあなたをご招待します。