
みょんふぁが動くと何かが起こる!
このインタビューはみょんふぁさんの表現に関わる“ここまでの”出来事のダイジェスト版です。お話を聞いていると、これでもかこれでもかとインパクトありまくりの“おもしろ”エピソードが飛び出してきてカットするのがたいへんな作業になりました。人生の半分でもう普通の人の一生分を充分にオーバーするぐらいの活躍ぶりです。
表現分野での日韓文化交流への思いを軸に、ことばの端々に見え隠れする“正義感”に支えられた限りないチェレンジ&面白がりの精神が止まるところを知りません。この先この人の人生はどうなっていくのだろうか興味津々! きっと今の分野をも軽々と乗り越えて遙か彼方の“みょんふぁの理想郷”に向かって突き進んでいくことでしょう。原稿を作りながらそんなことを考えていました。お互い生きている限り楽しみは尽きませんね。(えんぶ編集長 坂口真人)
(えんぶ2026年4月号掲載記事を一部改訂)
韓国大統領の
午餐会に招待された

坂口 まず最近のトピックス的な出来事をお聞きして、プロフィールに入っていこうかなと思っています。
みょんふぁ はい。
坂口 最初はですね、韓国大統領の午餐会っていうのに招待されました。
みょんふぁ びっくりしました。
坂口 (笑)。
みょんふぁ 突然、大使と名乗る人から電話がかかってきて、しかも結構急だったんですよ。それまでにね、何度か知らない人から着信はあったんですけど、ずっと国際詐欺だと思って無視してました(笑)。
坂口 (笑)。
みょんふぁ 帝国ホテルに行かせていただきました。
坂口 日韓関連で活躍されてる民間の方たちが呼ばれる?
みょんふぁ そうですね、百人ぐらいいるんです。私と同じテーブルには航空会社や酒造会社の偉い方が座っていました。
坂口 なるほど。
みょんふぁ ただ私が感じたのは、ここに招待されるべき人は私ではなく、親の世代であり、それこそ今の「K-POP」ブームが来るまでを苦労してきた人たち、おじいちゃんおばあちゃんたちを招待してくれって思いました。
坂口 はい。
みょんふぁ でも面白かったです。いい経験でした。
「ヨギソダイブのひと!」
としてSNSで話題に

坂口 もうひとつ。TBSの『ラヴィット!』という番組でみょんふぁさんが発した「ヨギソダイブ!」がたいへんにバズったそうですね。
みょんふぁ 誰も想像してなかった現象が起きちゃいましたね。 私はチェ・ジョンヒョプさんの通訳として参加していたのですが、びっくりしました。で、TVerで再生回数っていうのがその日1日で56万回みたいなことになっちゃって。なんかもう、うわぁってなりました。 芸人さんのギャグで「ここでダイブ」っていうのがあって、それを私は韓国語で「ヨギソダイブ」って言ったのが、トレンドワードになっちゃって。
坂口 すみません2年前の出来事なんですね。全然知らなくて今回取材をさせていただくので調べていてわかったんです。
みょんふぁ いえいえ、触れてない人には全くわかんないですよね。でも私は俳優さんの通訳だったのに、私が注目を浴びちゃって、それってギリギリアウトですよね。 生放送だったので、コマーシャルになるたびにずっとみなさんに謝ってました。あの回はもう“神の仕業”のような現象が起きました(笑)。
坂口 韓国でも話題になったそうですね。
みょんふぁ もう韓国でも大バズリ起こして。SNSの切り抜きが韓国にもいっちゃって。 3月に韓国に行ったときには、もうあちこちで、「通訳さん!」って、声かけられました。
坂口 よかったですね。
みょんふぁ 本当に『ラヴィット!』のおかげで日本でももちろんいっぱいの人に知ってもらえて、仕事もやりやすくなりましたけど、韓国でバズったっていうのが一番嬉しい出来事でしたね。
小学校時代は韓国舞踊団で活躍

坂口 では、なんとなく順を追ってお話をしましょう。ご両親は芸能ごとに興味があったんですか?
みょんふぁ 父はわたしが芸能ごとに関わるのは反対でした。当時在日の女の子は「短大出て、お見合いして、いい職業に就けている在日で韓国籍の男性と結婚する」っていうのが理想なわけですよ。
坂口 でも小学校では韓国舞踊団で活躍していました。
みょんふぁ それが親の失敗だったんです。 それで華やかなこと知っちゃったから、私の気持ちがそっちに行っちゃったんですね。小学校1年の時の担任の先生が、これから韓国舞踊団を作るので、うちの母親にお母さんも一緒にやんない?って言って、お母さんも関西弁でいう“いちびり”って言うんですけど、調子乗りだから一緒にやろっとなって、私自身もそのライトを浴びる快感を知っちゃったんでしょうね。
坂口 当時からそういう活動は盛んだったんですか?
みょんふぁ 在日の南側の韓国舞踊団ってほぼなかったんです。 北朝鮮の歌舞団っていうのはいっぱいあったんですけど、なのでかなり斬新な試みだったんですね。
坂口 なるほどお母さんはそこにも惹かれたんでしょうね。
みょんふぁ そうかもしれませんね。親はね、私たちは日本で育って日本で生活していくわけだけれども、やっぱりアイデンティティとして、韓国舞踊を通して当たり前のようにチマチョゴリに手を通しながら、自分達の文化に触れさせたいっていう思いがあったんだと思います。
坂口 その後は大手前中学・高校の演劇部ですね。
みょんふぁ 演劇なんて全然できなくて、踊りしかやったことなかったんですけど、小学校6年の時の文化祭でドクター・スランプアラレちゃんをモジってクラスで演劇をやったんです。私あかねちゃん役だったんですけど袖から出てきて、「何の音だ? 何の音だ? 逃げろ、逃げろ」ってパッて走る。 それだけなんですよ(笑)。
坂口 (笑)。
みょんふぁ それしかやってないんですけど、でも面白かったんでしょうね。中学で演劇部に入っちゃったんです。 父親はちょっと反対だったんです。 えーっていう感じでした。 高校まで一貫教育だったので、そのまんま演劇部でいたんですけど、中3を卒業する時に、ともかく大阪芸大に行きたいと思ったんです。
坂口 おー、あの大阪芸大ですね。
ともかく大阪芸大に
行きたかった!
みょんふぁ めっちゃくちゃ面白そうと思って大阪芸大に演劇で行きたいと思ったけど、絶対に反対されるのがわかっていたので、中3卒業しての春休み、高校入る前に「ピアノで行きたい」って言ったら、親も許してくれるんじゃないかなと思って、父親に「大阪芸大に行きたい。ちょっとピアノやれるといいじゃん」って言ったら、父親は意外とミーハーなので、おお、みたいになって。 子供の頃にちょっとピアノはやってたんですけど、大嫌いで二、三年しかやってないんです。 だからまともになんか全然弾けないんですけど。 そこから、大阪芸大出身のピアノの先生を探して高校の3年間一日7時間くらい猛練習して奇跡的に入学できました。
坂口 よかったです。
みょんふぁ なんですけど、だからちゃんと授業受けなきゃいけないのに、私の狙いはピアノで大学に入って演劇をやることだったので、学校の食堂で演劇関係の人にナンパされるのをずっと待ってたんです。
坂口 (笑)。
関西小劇場界隈で活躍?
みょんふぁ 全然ナンパされなくて(笑)、そしたら私の友達が声かけられた。 そこに付いて行って、私も演劇やりたいですって言ったら「そうなんや、ほんならちょっとなんかやるか〜」みたいなことで、いもづる式に当時の扇町ミュージアムスクエアの舞台立たせてもらうことになりました。出し物は『四谷怪談』で劇団☆新感線の村木よし子さんがお岩さんで、私は乳母、おばあちゃんの役でした。
坂口 それは新感線の公演なんですか?
みょんふぁ 新感線の公演ではなくて、演劇学科の人たちが別に舞台を作ってたんだと思います。高田聖子さんとかも友情出演みたいな感じで一緒にキャンディーズ踊りました。
坂口 そのあと「そとばこまち」に所属しますね。
みょんふぁ はい。当時小劇場がバーって来てる時で。私はなんか「そとばこまち」がおもしろくてオーディションを受けたんです。
坂口 一部で語り継がれているという(笑)。
みょんふぁ そう、いまだに言われるんですけど、あの、オーディションでね、私、一人「CATS」っていうのをやりました。オープニングを一人で全部声変えて振りやって歌って踊るっていうアホなことを。 いや、ほんと痛い痛いことやったんですけど、なんか通ってしまいました(笑)。
坂口 順調ですね。
みょんふぁ でも、こっから親の猛反対がずっと続くんです。 演劇って稽古して帰るのが遅いじゃないですか、もうほんと過保護な父親だったので、演劇やるって言った瞬間の反対もすごかったです、父親の名言なんですけど「お前、演劇ってあれやろ? 男と女が雑魚寝するあれやろって」(笑)。もう気が気じゃないんですよ。で、遅い時は劇団の稽古場の近くにうちの車があってお父さんがいるんですよ。劇団の人も「みょんふぁ来てんで」みたいな感じでした(笑)。そんなこんなでその年はほとんど大学に行ってませんでした。
坂口 その時期に芸能事務所にも所属しますね。
みょんふぁ はい。リコモーションに入って、まあちょっとだけタレントみたいな仕事、ちょこちょこコマーシャルとかテレビとかさしてもらったけど、まあなかなか目も出なくて。やっぱり親にも無理を言って入ったので学校をちゃんと卒業しようと思って、もう全てを辞めちゃったんです。 まあ、いわゆるケツまくっちゃったんですね(笑)。
坂口 思い切りがいいですね(笑)。
結婚そして阪神・淡路大震災
みょんふぁ あと残り2年間は学校だけ一生懸命行って。 そうしてるうちに、四回生の時に知り合った人とわりとすぐに結婚しちゃって。だからもうそこからずっと演劇を離れていました。
坂口 その間に阪神・淡路大震災がありましたね。
みょんふぁ そうですね、 1995年が神戸の大震災なんですけど、私が結婚した相手が神戸の三宮の人だったんですね。で、結納の一週間後が震災だったんです。
坂口 ご自身は大丈夫だったんですか?
みょんふぁ 私は震災の瞬間は生駒の実家にいたので全然大丈夫だったんですけど、 向こうが心配だったので、翌日親に内緒で車使って12時間かけて神戸に入って。もう逆に親に心配かけちゃったんですけど。あの17日が阪神大震災で、 18日が私の誕生日だったんです。
坂口 あ、お誕生日おめでとうございます。
みょんふぁ ありがとうございます。そうそうそう一昨日ですね。そうなんです。 それで当時はまだ若いですよね(笑)。「誕生日やからお祝いして」って可愛く言おうと思いながら向かったら、まさかの普段1時間で行けるのが12時間かけても着かなくて、もう一人で運転して泣きながら三宮にある前の旦那さんの家に着きました。もう愛ですよね(笑)。そう、すごい、そんな愛も冷めちゃいましたけど。 で、行って、そこから、えーと、2ヶ月ぐらいそのまま神戸にいて、復旧活動とか一緒にやってました。
8ヶ国語チャンネルの
『FMワイワイ』の立ち上げに参加
坂口 その後FM放送の立ち上げに参加してます。
みょんふぁ はい。神戸で震災が起きてるこの状況で、外国人はどうしていいかわかんないわけですよ。そういう人たちに向けた8ヶ国語チャンネルの『FMワイワイ』っていうのを立ち上げたんです。 私はもともとイベントの司会とかの仕事をやってたのもあって、韓国語のチャンネル作るからやらない?って誘われて。その時まだ韓国語全然できないんですけど、あ、やりますって、2時間生放送のラジオ番組を結婚生活しながら神戸でやり始めたんです。
坂口 そのときは韓国語はあまりしゃべれなかったんですね。
みょんふぁ そうですね。で、一緒に勉強しようみたいなチャンネルにしちゃって。 もちろん韓国人に向けての情報提供をしなきゃいけないのでたいへんでした(笑)。それが大きなきっかけで勉強をちゃんとしようって思いました。
坂口 『FMワイワイ』はどれぐらいやってたんですか?
みょんふぁ 2年ぐらいやったのかな。
ニュージーランドで
ミュージカル『男はつらいよ』の舞台をつくる
坂口 その後ニュージーランドに行かれた?
みょんふぁ そうなんですよ。3年で離婚しちゃったんです。
坂口 愛が冷めちゃったんですね。
みょんふぁ 震災もなんとか乗り越えてね、あんな大きな愛だったのに。 愛って冷めるんですね(笑)。別れましょうってなった時に、芝居もう一回やりたいなってぼんやり思ったりもしていたら、ちょうどその時に叔父がニュージーランドで寅さんの『男はつらいよ』ミュージカルを舞台で作ると…。
坂口 すごい企画ですね。
みょんふぁ すごいですよね。でまあ、あの、じゃあ行くかってなりました。
坂口 どんな内容なんですか?
みょんふぁ 母方の一番下の弟がフリースクールをニュージーランドと横浜で運営していて、今もやってるんですけど。日本で学校に行かない小中学生や、20〜30才ぐらいのおとなしい子からヤンキーまで、それはそれは多種多様なメンバーで共同生活を50人ぐらいでしている。 そこで舞台を作るので来ないかと誘われて、寅さんは一番好きな映画だし、さくら役もやれるかもと思って行ったらもうとんでもなかったんですけどね。
坂口 さくら役ではなかったんですね。
みょんふぁ はい。 とにかく、ちょっと言えないような事件がとにかく次から次に起きる。その子たちの面倒を見ながら、毎日朝から送り迎えして、もう彼らが起こす問題で警察に行って謝ったりとか、そういうことをしながら、舞台を作っていくんです。
坂口 とにかく事態は進んでいきます。
みょんふぁ はい。私もかなりいい加減なハッタリ人生なんですけど、振付・演出から、スポンサー取ってくるのから全部私がやって、伯父は美味しいところだけ持ってって、もうまんまと騙されました(笑)。
アイディアたっぷりな
宣伝活動で公演を成功に
坂口 それでは公演はまだまだ先ですね。
みょんふぁ はい。山田洋次監督に手紙書きました。こういうことやりたいんですけどいいですか?って、そしたら直筆の返事が来たんです。営利目的ではない公演で、その子たちの学習の一環なので、版権何も考えなくていいですよ、何でもやってくださいっていう手紙をもらいました。もう25年以上前の話ですね。
坂口 なんか、宣伝活動がすごかったと聞きました。
みょんふぁ ほっといてもできるものだと思ったら、公演会場のオークランドシティホールって500人入るんですよ。 それ二日押さえてたんです。 全部埋めなきゃいけない、赤字出しちゃダメだっていうんですね。
坂口 車に看板つけて走ったりとか。
みょんふぁ ハイエースに「WHO IS TORA?」って書いて、テッテレテテッテレテテッテレッテッテって音楽をガンガン鳴らして、オークランドシティをゲリラで練り歩いて、音かけて巡ってるだけだと全然ダメなので、私も法被にさらし巻いて日本太鼓を持って、突然パッて車から降りて、ドドドバッて太鼓を叩いて踊って、トントコトントコトントカーンみたいなことをやって逃げるっていうのをやりました。
坂口 うんうん。
みょんふぁ 2ヶ月ぐらい続けたら話題になってきて、あるラジオ番組に呼ばれて話をしたら、それを日本の領事館が聞いてて『男はつらいよ』特集みたいな映画上映会を開いてくれたりもしました。 で、実は世界中で日本の次に寅さんを楽しんでる国がニュージーランドだと。
坂口 うそー。
みょんふぁ って領事館の人は言ってました(笑)。その後はもう毎日公園に行って宣伝ですよ。 それで500人のホールを埋めました。あれはいま思ってもすごかったです。もう二度とやんないけど。
坂口 (笑)。
再び紆余曲折、
演劇をやりたくなって東京へ
みょんふぁ その時ちょっと実家の方がバブル崩壊の影響で経済的にいろいろ傾いて、親助けようと思って日本に帰ってきました。
坂口 でもその後また演劇に戻りますよね。
みょんふぁ そうなんですよ。 27才から一年間ニュージーランドにいて、大阪に帰ってきたんです。で、父親と会社を作って借金返すために企業に営業行って仕事取ってみたいなことを30才ぐらいまでやってたのかな。やってたんですけど、やっぱり演劇やりたいなっていう思いが出てきちゃいました。
坂口 東京に出てくるわけですね。
みょんふぁ はい。でも家も大変な時期で、今東京なんか行っていいのかなって考えました。あの、わたし弟がいるんですけど、その時はね、弟も両親も、何をやってもどっかで誰かを傷つけたりすることになっちゃうわけだから、みんな今こそやりたいことやろうって、本当に困ったら呼び戻すから好きにしろって言ってくれて。 じゃあ私も「分かった! 3年で3000万貯めて帰ってくるから任せとけ!」って、東京に出てきました。
坂口 よいご家族ですね、それにしても3年で3000万って(笑)。
みょんふぁ (笑)。まず昔大阪でお世話になっていた事務所を訪ねました、もうそこしか繫がりがないから。そしたら、みょんふぁ今更遅いわ、もう女優余ってるからって言われて「はい」って。 昔、すごく私に力を入れてくれてたのに、私ケツまくっちゃいましたからね。
いよいよ日韓交流のステージに
坂口 そのあとユニークポイント(当時は東京に、現在は藤枝市に拠点を置く劇団)に入りますね。
みょんふぁ いくつかの個別の公演に出演させてもらったりしていたんですが、やっぱり拠点があった方がいいのかもと思って2005年にユニークポイントに入りました。ちょうど太宰治の『斜陽』を韓国語にして韓国で公演するので主演をしてほしいと言われて。それがわたしの一番最初の日韓交流公演です。そのあと何本か日韓合作みたいなのをやりましたね。
坂口 そのユニークポイントでの活動は結構大きいですね。
みょんふぁ そうですね、企画としては小規模なものだったんですけど、私にとってはめちゃくちゃ大きかったと思います。
坂口 そのあと、日韓演劇絡みの活動が続きますね。
みょんふぁ 2009年に第1回日韓演劇フェスティバルっていうのが「あうるすぽっと」であったんです。そのうちの一本が韓国から来た演出家がやった『壁の中の妖精』っていう作品で、福田善之さんが書いて日本では元宝塚の春風ひとみさんがもう何百回もやっていた一人芝居なんですけど、このフェスで韓国の女優さんがやったものが「なんだこれは!」っていうぐらい素晴らしかったんですよ。 その芝居を観て韓国に行って勉強したいってなりました。
日韓演劇フェスなどの
実績を基に研修生として韓国へ
坂口 それで文化庁の芸術家在外研修として韓国に行くんですね。
みょんふぁ すぐに申請出したんですけど、キャリアが全くないので落ちまして。
坂口 行ったのは2014年ですよね。
みょんふぁ そうです。2012年に第2回日韓演劇フェスティバルっていうのをやったんですけど、それはもうほぼプロデューサーとして私が入って「あうるすぽっと」2週間、韓国、大阪、福岡で公演といういうプログラムでした。
坂口 結構大きな規模のイベントですね。
みょんふぁ 招聘する作品選びから何から全部向こうに行ってリサーチしました。その時に私が翻訳して出演もしたチャン・ジンさんの『トンマッコルへようこそ』っていう作品とかが認められたり、みなさんに応援してもらったりして文化庁に応募したら通ったんです。
韓国国立劇団での
俳優修行は軍隊みたい

坂口 行けてよかったんですけど、えんぶのブログ記事にも書いてくれたけど、行き先で大変な目に遭ったりしてるわけですね。
みょんふぁ 軍隊でした。 軍隊。 もう軍隊です。いや〜、記事にも書きましたけど、ちょっと衝撃的でした。 初日おはようございますって言った時に、はい、じゃあ走りましょうってグランド走るんですけど、10周終わったら、はい、反対に10周ってとこから始まって、ではこれからこういう訓練を始めていきます、みたいな(笑)。
坂口 はい。
みょんふぁ 朝10時から22時までなんですけど、やってる内容っていうのは、ほぼ筋トレです。
坂口 あー。
みょんふぁ 要は下半身を鍛えなきゃいけないっていうことで、ほぼ筋トレをやって、そのうちに、ちょっと分析の時間があったりとか、でもボイス、演劇、演技、いろいろタイトルはありましたけど、全部筋トレでした。
坂口 なんか、怪我する人とかが出たりしてますね。
みょんふぁ 救急車三回ぐらい来ました。
坂口 う〜ん。
みょんふぁ でもなんかね、韓国でその話をすると、もう昔の時代だからって皆さん言いますけどね。そういう、ただただ体をいじめるような訓練法は、今はもうしてないらしいですけど。
坂口 あー。
みょんふぁ でも今を支えている俳優たちはみんなそこを通ってきてます。
坂口 あー。
韓国で一番学んだのは“勇気”
坂口 そうですか、韓国でも今はないんですね。でもそれは現在活躍している方達の、ある下地にはなってるって思いますね。
みょんふぁ 絶対になってると思います。 やっぱり下半身の安定感と、あと向こうでやったことって“見せること”なんですよ。アクトするってことに対して自己演出力もすごく高いですし、向こうは常に自分でモノローグ作ったりとかをするわけですよ。
坂口 あー。
みょんふぁ 必ず自分で自己演出するっていう発想があるので、そういうのはすごく鍛えられましたし、そこにいて一番学んだのはもう本当に勇気。やる勇気。恥かく勇気って言ったらすごいあれですけど、なんかそれをね、楽しんじゃってる民族がいるんです。
坂口 でもそんなこと言っても、ここまでの経歴を聞いても、結構、みょんふぁさんそういう感じで生きて来てないですか。
みょんふぁ でもなんか、向こうに行った時に、私こんなに頭硬いんだとか、こんなに自分はプライドが高かったんだって、めちゃくちゃ感じました。 一回振り切る勇気っていうのが、あの人たちは当たり前でやってますもん。私はやっぱりなんかこっぱずかしいとかあったものが、みんなと一緒にやってみてラテン民族になれた。 すごい、本当に一番学んだのは“勇気”だなっていうのを後から振り返っても感じましたね。
坂口 それが、そのあとの一人芝居とかにもね。
みょんふぁ 繋がりますね。
韓国戯曲の翻訳で
小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞
坂口 その前に、韓国戯曲を翻訳をして賞をもらいました。
みょんふぁ 『代代孫孫201 6』『トンマッコルへようこそ』の二つで、小田島雄志・翻訳戯曲賞をいただきました。実はその時、喉にトラブルがあって声が出なくなっちゃってもう演劇人生絶たれたと思ってたぐらいで、すっごくどん底にいた時だったから、受賞の連絡もらった時は、あ、これはもう一回頑張れってことだなって改めて思いましたね。
坂口 いい出来事がありました。
みょんふぁ 本当にね、捨てる神あれば拾う神ありで。
坂口 ご本人の努力だとは思いますけども、いい巡り合わせですよね。
みょんふぁ ありがたいです。それがきっかけで、もっと日韓戯曲をお互いに紹介していこうって積極的に楽しむようになりましたね。
「みょんふぁ一人芝居
『母 My mother』」を上演

坂口 2021年12月に朝鮮舞踊家を題材にした「みょんふぁ一人芝居『母 My mother』」を作・演出、鄭義信で上演しました。※1
みょんふぁ そもそも韓国留学を決めたのも、その一人芝居をいつかやりたいと思ってたからなんです。文化庁に提出した書類には、崔承喜(チェスンヒ)を題材にした一人芝居をいつかやりたいって、その調べも含めて韓国に行きたいって書きました。
坂口 崔承喜の経歴を見ると、「ソウル生まれ、日本でモダンダンスを学び、独自の朝鮮舞踊を創作、1938年からの3年間の世界巡演は大成功だったが、戦後は北朝鮮へ渡って謎の死を遂げた」とあります。
みょんふぁ 帝国劇場を四日間満席にした、もうすごい人なんです。 川端康成もピカソも大絶賛してます。
坂口 どこかのインタビューを読んでたら、その『母 My mother』を韓国とブロードウェイでやりたいとおっしゃってました。
みょんふぁ ブロードウェイ行きたーい!と思ってます。でもあの一人芝居は本当に大変でした。
坂口 あ、大変だった。
みょんふぁ いやー、しんどかったです。 思いが強すぎたのと、いや、今も思ってますけど。やっぱり踊りがとても難しいんです。 2年間完全に離れちゃったのですぐはできないと思うんですけど、今年はセリフをもう一回思い出すところからやって、まずは再演を日本でする準備を始めようと思っています。
コロナ禍にもめげず主演舞台が続く

坂口 その一人芝居の前後にコロナ禍にもめげずにおもしろい企画をたくさんやってます。2019年1月赤坂レッドシアターで韓国の脚本家チャン・ジン作でコメディ『花の秘密』。これは企画・翻訳・出演ですね。
みょんふぁ 私は韓国のパワーを、そしてコメディーを伝えたいっていうのがあったので、女四人芝居で男が一人だけ出てくるチャン・ジンのドコメディーがあったので、それを翻訳して、文化庁の在外研修成果発表という形で横内謙介さんの演出でやりました。
坂口 で、その2月にコロナですよね。
みょんふぁ コロナ中に私が一人芝居を鄭義信さんの作・演出でやりました。絶対無理だと思ったのにまさかやってくださいました。コロナ中で少しだけ時間があったのかもしれませんね(笑)。
坂口 そして2023年1月に劇団HOTSKY『ほおずきの家』全編北九州弁で在日コリアンの人たちの話を中心とした内容の作品で主演でした。
みょんふぁ 劇団HOTSKYの釘本光さん脚本、横内謙介さん演出でした。釘本さんから出演のお声がけをいただいて座・高円寺1で日本劇作家協会プログラムとして上演しました。
坂口 ここら辺になったらもう大忙しですね。
みょんふぁ でも、その前の時の方が年間八本ぐらい舞台やっていたので。一昨年に独立したのもあって、ちょっと舞台は年間二本ぐらいに減らそうと思っています。
素敵な韓国語のレッスン
「みょんふぁのカンタン韓国語」

坂口 そうしている中であの、韓国語のレッスンの「みょんふぁのカンタン韓国語」すごく素敵ですね。観ててすごく楽しい。ただ韓国の言葉を教えるのではなく、これはこうっていう、韓国語とか日本語とかの仕組みとかもわかりやすいですし、何よりも教えている人の表情すてき(笑)。
みょんふぁ あははは。
坂口 すごく親しみがもてます。
みょんふぁ 嬉しいです。でもね、今年から編集が大変すぎて、どうしようって今悩んでるんです。
坂口 いやいやいやいや、もう他のはやめても、あれやってほしいって思うくらいです。
みょんふぁ いや嬉しいです。
坂口 ご本人の魅力も出つつ、いろんな韓国のことがわかったりするでしょ? 日本のこともちょっと分かったりするから。あれは魅力満載ですよ。
みょんふぁ あー頑張ります。勇気もらいました。
韓国の俳優は腹が違う
坂口 あの、僕は全然韓国のお芝居とか見てないんですけど、この前、みょんふぁさんが翻訳した韓国の方の二人芝居を観たんですよ。
みょんふぁ あ、月刊「根本宗子」の『Marriage Hunting』ここの近く劇場でやってましたね。
坂口 日本語と英語のバージョンもあったらしいんですが。たまたま韓国の俳優2人が出演した韓国語バージョンを観たんです。
みょんふぁ あれ、うちの事務所の2人なんです。
坂口 あっ、みょんふぁさんはSORIFAという事務所もやってるんですね。すごく素敵でした。
みょんふぁ よかったでしょ(笑)。
坂口 言葉全然わかんないんですよ。予備知識も何もないんですよ。でも、その佇まいとか振りとか声とか表情とかね。
みょんふぁ 字幕ないですしね。
坂口 全然わかんないのに、60分間とても楽しかったです。
みょんふぁ いや、韓国の俳優は本当に素晴らしいです。
坂口 韓国と日本の俳優では違いますか?
みょんふぁ はい。オーディションに来るじゃないですか。やってくる準備からもう違いますね、昨日渡した台本を今日全部覚えて自分色に変えてまでやってくるので、もう腹が違うっていうか。いや、やっぱり本当に思います。 もちろん日本の若い俳優でもおもしろい人はたくさんいますけどね。
坂口 それにしてもあの二人は、そういう努力を見せないで可愛らしく舞台にいるじゃないですか。
みょんふぁ そうかそっか、はい。
坂口 何かの機会があったらお話を聞いてみたいですね。
みょんふぁ ありがとうございます。
家族が自分を作った

坂口 今回、みょんふぁさんのことを調べたりインタビューさせていただいて、一番感じるのは、やっぱご両親とか、それからおじいちゃん、おばあちゃん、もっといえば、その歴史背景にあるものの影響を強く受けてるように感じました。
みょんふぁ そうですよね。
坂口 それが血となり肉となっているような気がするんですけど、いかがです?
みょんふぁ いや、そう思います。だから私、親死んだら生きていけるのかなって思うくらい。
坂口 いやいや。
みょんふぁ 本当にそう思います。なんか。親が作った人生生きてるなって思うときがあるんです。あ、親が私を形成したな、親っていうか家族が。
坂口 家族がね。
みょんふぁ “遊びをせんとや生まれけむ”っていう我が家の家訓があって、なんでも楽しめないと、という楽しめる力を家族からもらってる気がします。在日の3世で、もう子供の頃からこのマイノリティ武器じゃんって思えたので、明るく育つことが出来ました。それが一番感じます。もちろんいろんなことがいっぱいありましたけど「なんでも楽しめる」という世界観はそこで作られている気はとってもします。
坂口 「なんでも楽しめる」そういう思いが行動の端々に染みこんでいるのかなってすごく思いました。
みょんふぁ 自分でもそう思います。
坂口 それは。
みょんふぁ なんかね、前にも話しましたが、踊りを小学校から始めたところからして、習わせるんでなくて母親が一緒にやったんですよね。
坂口 ああ。
みょんふぁ それってもう子供心に、お母さんが楽しんでるから自分も楽しいじゃん、みたいな。もう導入が全部強制じゃないんですね。
坂口 しかも、お父さんもみょんふぁさんの行動に文句言うだけじゃなくて、実際に心配だったら自分から迎えに行っちゃうとかね。楽しむとは違うかもしれませんが、かっこいいじゃないですか。
みょんふぁ うちのお父さんはね、もう昭和の韓国人なんです(笑)。
坂口 お二人ともお元気で。
みょんふぁ はい。さすがに歳になったけど元気です。いや、そっか、やっぱそういう、そうですね、私の節々、う〜ん。言葉の端々に…。
坂口 はい。うちに書いていただいているブログで、連続で読ませていただいてるんで、感じることは多いですよね。※2
みょんふぁ 母親がいっつも「やる気の差よ」って言うんですね、やるかやらないかだから「能力の差はない、やる気の差だ」って。
坂口 その言葉そのままいただいて頑張ります(笑)。
みょんふぁ まあ、あるんですよね能力の差って。だけどやっぱり行き着くところは、いつもそこに行くかなとは思いますね。
みょんふぁ(洪明花)プロフィール
大阪生まれ、在日コリアン3世。女優、通訳・翻訳、司会、ナレーション、プロデューサー、演技講師。映画・舞台・ドラマなどに多数出演。小田島雄志翻訳戯曲賞受賞。日韓演劇交流センター副会長。劇団協議会理事。日韓交流の拡大化のために母体となるSORIFAを設立。自身のSNSやYouTubeチャンネルで「みょんふぁのカンタン韓国語」などのレッスンや日韓文化の発信を行っている。
2026年3月13日に終了した、中村倫也主演ドラマ『Dream Stage』で現場通訳、台本翻訳、セリフ指導などを担当。出演もしている。
【活動予定】
・テレビ愛知『どうする、ごはんseason2』 3/24 配信
・NHK総合 虎に翼スピンオフ『山田轟法律事務所』
・翻訳戯曲の公演3/14〜30『Oasis』◎サンシャイン劇場
・・・・・・・・・・
●Youtubeチャンネル みょんふぁ(SORIFA)チャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCI2ITpnZzwAlruYJ6eVCNwA
●HP〜花笑み時間〜
https://myonpappa.amebaownd.com/
●ブログ〜遊びをせんとや生まれけむ〜
https://ameblo.jp/myonpappa
・・・・・・・・・・
情報☆キック連載「みょんふぁの気になるわぁ〜」
https://enbutown.com/joho/category/column-essay/myonpa/

インタビュー/坂口真人 写真提供/洪明花
★このインタビューは、えんぶ最新号に掲載されています▼!





