歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」開幕!

昼の部『鴛鴦襖恋睦』左より、股野五郎=中村萬太郎、雌鴛鴦の精=尾上右近、雄鴛鴦の精=尾上松也(C)松竹

《昼の部》

歌舞伎座で5月2日に「團菊祭五月大歌舞伎」が開幕、26日まで上演。昼の部は尾上松也、中村萬太郎、尾上右近の花形三人による『鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのひめごと) おしどり』で華々しく幕が開きます。

鴛鴦の精が本性を顕すぶっかえりなどの華やかな演出も盛り込まれた、幻想的で古風な趣溢れる舞踊です。遊女の喜瀬川(尾上右近)をめぐって源氏方の河津三郎(松也)と平家方の股野五郎(萬太郎)が喜瀬川を行司役にして相撲を取ります。わざと河津へ勝負を譲り、酒に酔わせた上で討ち取ろうと考えた股野は、池で泳ぐ鴛鴦の雄を殺し、生き血を河津の酒に混ぜます…。

昼の部『鴛鴦襖恋睦』左より、河津三郎=尾上松也、遊女喜瀬川=尾上右近、股野五郎=中村萬太郎(C)松竹

やがて泉水に雌鴛鴦の精(尾上右近)が姿を現し、股野に殺された雄鳥の死を嘆きます。そこへ雄鴛鴦の精(松也)が河津の姿を借りて現れ…。鴛鴦の精の艶やかさ、華やかな所作ダテが繰り広げられると、客席は拍手に包まれました。

続いては、歌舞伎十八番の内『毛抜(けぬき)』です。

昼の部『毛抜』左より、粂寺弾正=市川男女蔵、腰元巻絹=中村時蔵_(C)松竹

元禄歌舞伎の大らかな雰囲気に溢れる本作は、七世市川團十郎が「歌舞伎十八番」に選定し、その後長らく上演が途絶えていましたが、明治 42 年に二世市川左團次が復活上演。以降、左團次家に大切に受け継がれ、四世左團次は左團次襲名の際にも演じて以来の当り役としました。当月は、昨年逝去した四世市川左團次一年祭追善として上演し、左團次長男の市川男女蔵が父の当り役・粂寺弾正に挑み、左團次孫で男女蔵長男の市川男寅が錦の前を勤めます。所縁の出演者で名優を偲ぶ今回の上演で、左團次と数々の名演を魅せた尾上菊五郎は小野春道を初役で勤めます。菊五郎は男女蔵の弾正について「お父つぁんに大分似てきましたね」と述べています。また、市川團十郎が後見として出演します。

昼の部『毛抜』左より、秦民部河原崎権十郎、乳人若菜市村萬次郎、粂寺弾正市川男女蔵、錦の前市川男寅、小野春道尾上菊五郎、小野春風中村鴈治郎、八剣(C)松竹

小野小町の子孫、小野春道(菊五郎)の屋敷。錦の前(男寅)の許嫁である文屋豊秀の家臣、粂寺弾正(男女蔵)がやって来ます。男女蔵演じる弾正が花道に登場すると、亡き父左團次を彷彿とさせる大らかな姿と、よく通る声に客席からは大きな拍手が送られました。前半では弾正が腰元の巻絹(中村時蔵)や若衆の秀太郎(中村梅枝)に言い寄って振られてしまう愛嬌を見せ、後半では鋭い知性で小原万兵衛(尾上松緑)の嘘を見破り、錦の前の髪が逆立つ原因を突き止め、派手な見得の数々で何度も観客を沸かせました。弾正は見事小野家の騒動を収め、後見で登場した團十郎に見守られながら、「いずれも様のおかげをもちまして、身に余る大役をどうやらおおせた様にござりまする。どりゃ、お開きと致しましょう」と明瞭なセリフと共に意気揚々と花道を引っ込むと、客席からは割れんばかりの拍手が送られました。

昼の部『極付幡随長兵衛』左より、幡随院長兵衛市川團十郎、女房お時中村児太郎、神田弥吉大谷廣松、雷重五郎尾上右近、唐犬権兵衛市川右團次、極楽十三中村歌昇(C)松竹

昼の部の幕切れは、『極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)』です。

日本の俠客の元祖といわれ、江戸時代に実在した幡随院長兵衛を題材にした数多の作品の中でも、名作者・河竹黙阿弥によって書かれ、明治 14(1881)年に九世團十郎によって初演された本作が「極付」とされます。

昼の部『極付幡随長兵衛』左より、女房お時=中村児太郎、幡随院長兵衛=市川團十郎(C)松竹

劇中劇として上演される『公平法問諍』が舞台上で繰り広げられる中、客席から幡随院長兵衛(市川團十郎)が登場すると、客席からは大きな拍手が起きます。騒動を収めた長兵衛ですが、対立する水野十郎左衛門(尾上菊之助)が呼びかけたことで長兵衛の子分たちがいきり立ち一触即発の事態に。続く長兵衛内の場では、水野邸へ招かれた長兵衛が死を覚悟して女房のお時(中村児太郎)や息子の長松、弟分の唐犬権兵衛(市川右團次)はじめ子分たちに別れを告げ、観客の涙を誘います。水野邸では、長兵衛と水野、近藤登之助(中村錦之助)が過去の遺恨を水に流そうと盃を交わしますが…。湯殿で大立廻りの末、潔く散る長兵衛の生き様に胸が打たれます。

昼の部『極付幡随長兵衛』左より、近藤登之助=中村錦之助、幡随院長兵衛=市川團十郎、水野十郎左衛門=尾上菊之助(C)松竹

「長兵衛の孤高の精神は、女房や子分たちには理解されません。しかし、そのもどかしさや心の動きがお客様に伝わるように演じるのが重要です」と事前の取材会で話していた團十郎。父・十二世團十郎から最後に教わった役であるという長兵衛を十三代目襲名後初めて勤め、盛大な拍手が送られました。

《夜の部》

夜の部『伽羅先代萩-御殿』左より、乳人政岡尾上菊之助、鶴千代中村種太郎、一子千松尾上丑之助、栄御前中村雀右衛門(C)松竹

夜の部の幕開きは、江戸初期に起きた三大御家騒動のひとつ「伊達騒動」を題材に作られた『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』です。

忠義を尽くす乳人政岡の苦衷を描く「御殿」と、御家乗っ取りを企む仁木弾正の妖しさと凄味が印象的な「床下」の場面は繰り返し上演されています。今月の上演では、「御殿」で乳人政岡を尾上菊之助、その息子の千松を菊之助長男の尾上丑之助という親子共演が話題となります。「床下」では代々の團十郎が演じてきた仁木弾正を、襲名以降初めてとなる市川團十郎が勤めます。

夜の部『伽羅先代萩-御殿』(前)左より、八汐中村歌六、一子千松尾上丑之助、(後)左より、乳人政岡尾上菊之助、鶴千代中村種太郎、栄御前中村雀右衛門(C)松竹

足利家の乗っ取りを目論む仁木弾正らの策略により、隠居を命じられた足利頼兼に代わり息子の鶴千代が家督を相続しますが、鶴千代は弾正らに命を狙われます。舞台は足利家の御殿。毒殺を恐れ、政岡(菊之助)が自らの手で鶴千代(中村種太郎)と千松(丑之助)の食事を用意しています。茶道の作法で米を炊く「飯炊(ままた)き」に今回初めて挑む菊之助は「鶴千代と千松に対してそれくらい母性を出せるかが課題だと思っています」と公演前にコメント。母の言いつけを守り鶴千代の身代わりとなった健気な千松の姿と、我が子の亡骸を前にして包み込むような母性を政岡が見せ、客席は温かい空気に包まれました。床下では、鶴千代を守る荒獅子男之助(市川右團次)の豪快さと、仁木弾正(市川團十郎)の妖しさの対比が弾正の凄味を増幅させ、客席を圧倒しました。

夜の部『伽羅先代萩 床下』仁木弾正=市川團十郎_(C)松竹

続いては、 『四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)』です。

夜の部『四千両小判梅葉』左より、藤岡藤十郎=中村梅玉、野州無宿富蔵=尾上松緑、伊丹屋徳太郎=坂東巳之助(C)松竹

盗賊を主人公にした「白浪物」を多く著した河竹黙阿弥の晩年作で、明治 18(1885)年に五世尾上菊五郎の富蔵で初演。黙阿弥が実際の牢内の様子や囚人たちの姿とそのしきたりなどを舞台上に再現させ、好評を博しました。今月は、祖父である二世松緑が上演を重ね、当代菊五郎に師事した尾上松緑が初役で富蔵を勤めることが話題となっています。

四谷見附で屋台のおでん屋を営む富蔵(尾上松緑)は、以前勤めていた屋敷の恩義ある若旦那の藤岡藤十郎(中村梅玉)と偶然再会し、江戸城の御金蔵破りを持ち掛けます。松緑は富蔵について「物の道理をわきまえた肚の座った人物」と話し、梅玉は藤十郎を「気の弱い、世間知らずのボンボンです」と語る通り、命がけの悪事を面白がる富蔵と小心者の藤十郎の対比が観客の目を惹きます。無事に金を盗み出した二人でしたが、富蔵は生き別れた母を訪ねた加賀で捕らえられます。江戸へ送られる途上の熊谷の土手で、降りしきる雪の中で女房おさよ(中村梅枝)と娘お民、舅の六兵衛(坂東彌十郎)と今生の別れを惜しむ場面は涙を誘いました。

夜の部『四千両小判梅葉』左より、女房おさよ=中村梅枝、野州無宿富蔵=尾上松緑、うどん屋六兵衛=坂東彌十郎_(C)松竹

富蔵が入れられた伝馬町西大牢では、牢名主の松島奥五郎(中村歌六)を筆頭に、隅の隠居(市川團蔵)、数見役(坂東彦三郎)、頭(坂東亀蔵)、三番役(中村歌昇)、四番役(中村種之助)たちが牢内のしきたりや決まりに従って暮らしています。囚人となっても大物ぶりを発揮する富蔵の姿を、客席は固唾を呑んで見守りました。場面ごとに様々な表情を見せ、ドラマチックに展開させる黙阿弥の異色の白浪物に大きな拍手が送られました。

夜の部『四千両小判梅葉』左より、牢名主松島奥五郎中村歌六、頭坂東亀蔵、数見役坂東彦三郎、野州無宿富蔵尾上松緑、三番役中村歌昇、四番役中村種之助、隅の隠居市川團蔵(C)松竹

【公演情報】

 「團菊祭五月大歌舞伎」

●5/2~26◎歌舞伎座

 

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