えんぶ編集長 坂口真人インタビュー「コロナ禍からユートピアへ」(前編)

9/25までモーションギャラリーにてクラウドファンディング中のプロジェクト「えんぶ☆TOWN」。それまでの道のりをプロジェクト主宰者でもあるえんぶ編集長 坂口にたっぷり聞いたロングインタビュー!(えんぶ2024年8月号に掲載された記事を2回に分けて掲載)

えんぶ編集長 坂口真人
雑誌えんぶ創刊35周年記念事業として計画していた「アートとエンタテインメントの街」づくり「えんぶ☆TOWN」設立でしたが、その予算をコロナ禍で傷んだ自社の修復に宛ててしまい(それでも全然足りませんでしたが)諦めかけていたところ紆余曲折!
まずは、理想と現実のギャップに翻弄されつつたどり着いた「えんぶ☆TOWN」第一段階の“混乱と希望”。
いまさらですが、街づくりの責任者坂口に編集部員たちの疑問が集中!今回の企画に関わりがありそうな歴史を探るような部分からインタビューを始めてみると。少しずつですが街作りの背景がみえてきたような……。

演劇ぶっく創刊前に影響を受けたこと。

――1986年に演劇ぶっくを創刊していますが簡単な経緯を聞かせてください。

その前に自分は所謂アングラ芝居に影響されていて、唐十郎の状況劇場や寺山修司の天井桟敷に興味を持っていました。彼らは所謂ジャンル分けとかにこだわらない、わりと何でもありの人たちでしたので、その影響は今回の「えんぶ☆TOWN」の企画まで引っ張られているかもしれませんね。

演劇ぶっく創刊号 小劇場演劇の軌跡① 68-69ページ 「出発は冒険だった」扇田昭彦(朝日新聞記者/当時)著
演劇ぶっく創刊号 小劇場演劇の軌跡① 70-71ページ 「出発は冒険だった」扇田昭彦(朝日新聞記者/当時)著

――たとえばその当時どんなことがあったのでしょう?

状況劇場では画家の横尾忠則や合田佐和子などがポスター作りなどで影響し合っていましたし、人形作家の四谷シモンや舞踏家の麿赤児などは本人たちが役者として舞台に立っていました。天井桟敷(寺山修司)はオールラウンダーといった印象で、初期のころの作品は見世物を意識して作られていましたし、劇団員のカルメン・マキが歌った「時には母のない子のように」は100万枚をこえる大ヒットになりました。
海外での公演もそれぞれが問題意識を持って積極的におこなっていますね。

――坂口さん自身もアングラだったのですか?

ぼくは瓜生良介という人が主宰していた「演劇集団 発見の会」という所にすこしだけ所属していました。虚実ない交ぜになったコミカルで自由度の高い作品を作っていました。

――そこが今回の企画の原点?

アングラって叙情とユーモアと乱暴力(自由な発想と言ってもいいかもしれません)が基本で、自主的な立ち位置は当時の僕にとっては魅力的でした。

――1986年に演劇ぶっくを創刊するまでにはまだ少し時間がありますね。

はい。向こう側にいるには覚悟と能力とバカさ加減がたりませんでしたのでね(笑)。

――何をしていたんですか?

ぶらぶらしていました。
ラッキーだったのは当時はバブル期でオペラやバレエなど海外から面白い公演がたくさん来ていましたし、猿之助歌舞伎なども脂がのりきっていてエキサイティングでしたね。落語もいい時代でした、桂米朝、笑福亭松鶴、古今亭志ん朝、柳家小三治、立川談志もう書いているだけでよだれが出そうな人たちがいました。

――その部分は個人的な趣味が強く出ているような。

(笑)。

――そのころ映画もよく観ていたようですね。

はい。高円寺に1軒、中野に2軒、ボロの映画館がありましたのでそこにかかるやつはけっこう見てました。

――どんな作品が面白かったのですか?

「ロシアの雪原を延々と歩いて行く」ような長いやつとか「飽食が過ぎて自分たちの糞尿の濁流で溺れ死んでしまう?」ようなやつとか、とにかく玉石混合で、その中から面白いものを探すのがたのしかったですね。

――演劇は?

宝塚ですね。
半世紀前に漫画を原作とした大ヒット作品「ベルばら」があったんですね。先見性ハンパないですよね。
出演者が女性だけという不自由さを逆手の取った、自由な発想の素敵な作品がたくさんありましたね。

――ぶらぶらしていたのが役に立ったと……

ここらへんのどれもこれもがジャンルを超えて勝手で自由で面白い。そのバラバラさ加減は魅力的でしたね。

1986年、演劇ぶっくを創刊。

演劇ぶっく創刊号表紙と本文

創刊号を無料ダウンロード▶ https://enbudenshi.com/items/55dec0983cd482c7d6000401

――で、1986年の演劇ぶっく創刊につながりました。

当時はいわゆる「小劇場演劇」の台頭期で、社会的な現象として“若者文化の旗手”などと言われて、演劇のみならず他の分野の表現者たちにも大きなインパクトを与えていました。

――“若者文化の旗手”というフレーズはなんとなく聞き覚えがあるような……。

この時期にムーブメントの周辺にいることができ、みなさんの成長の過程を見ることができたのはとてもラッキーでしたね。ただ、この“表現たちのおもしろさ”は評論家的な言葉では世間に届いていないような印象を受けました。

――なるほど。

「“おもしろさ”を伝えたい」って、余計なお世話ですが思ってしまったんですね。ではどうするか?舞台写真とインタビューの組み合わせで紹介するのがベストかなと思って、『演劇ぶっく』を作りました。ですのでここでは写真がとても重要な要素でした。舞台の迫力を出すために判型もA4版と大きめにしました。

――舞台写真とインタビューを組み合わせた後記事の演劇雑誌って、世界でもあまりないような気がしますが。

(笑)。『演劇ぶっく』に参加してくれた人たちはぼくを含めて本作りは素人でしたので、記事がうまく書けなくて、インタビューならなんとか形になりました。ちなみに当時の編集部のキャッチコピーは「土方でも本は作れる」でした。

――かなり乱暴ですが。

(笑)。そうなんですが、既成の価値観に頼らない(頼れない)、自分で考えるしかないという点では、「小劇場演劇」の人たちの作品の作り方に近い部分があったかもしれませんね。

――とりあえず「小劇場演劇」のムーブメントにのって好調なスタートだったんですね。

そうは言っても素人が隔月刊とはいえ継続して雑誌を出版するのは曲芸みたいなもので、面白いけどたいへんな経験でした。これは現在までエンドレスで続いてますが……。

「演劇と映像の学校」「映像雑誌」「アートショップギャラリー」を作った。

演劇と映像を作りたい人たちのための学校
「ENBUart&playingゼミナール」チラシ

――で10年後に演劇や映像を作りたい人のための学校ENBUゼミ(現在は別会社が運営)をつくります。

はい。いま面白い作品を作っている人たちと、それに興味を持っているひとが出会って、とりあえず1本作品を作ってみたらおもしろいかなと考えました。表現ってつくってなんぼですものね。

――当時、講師が豪華なのにびっくりしました。

講師は僕たちが面白いって思っていた人たちが参加してくれましたね。生徒さんたちは主に20代の方が多くてここまで受験や就職活動に追われて、一杯いっぱいだったと思うので、ここで一休みも兼ねて栄養も蓄えて、リスタートできたらいいと考えていました。

――それは上手くいきましたか?

う~ん、やっぱり来てくださった人たちは今すぐ活躍したいと思っている人が多いので、その部分でのギャップは大きかったかなと思います。「学ばない学校」が自分の中でのキャッチフレーズでしたので。これも面白いけどたいへんな経験でした(笑)。

映像雑誌「ピクトアップ」創刊号表紙

――この時期にピクトアップ(現在は(有)ピクトアップ社が発行)という映像雑誌をつくっていますね。

はい。当時自分はウォン・カーウァイが好きで、毎号(隔月刊)いろんなウォン・カーウァイ的な人を紹介できたら面白いかと思ったんです。もうひとつはゼミの宣伝も兼ねてクリエーターの紹介もできるという一石二鳥を狙っていました。

――いまのピクトアップとはずんぶん内容が違いますが

そうですね。自分は早々に編集的な役割から外れていまして、現在のピクトアップは人気者を扱いながら媚びない、気持ちの良いカッコイイ雑誌になっていますね。

下北沢にオープンしたアートショップギャラリー「風呂式」チラシ

――この時期にもうひとつお店を作ってますね。

手作りのアート作品や工芸品を貸し箱のスペースに置いて販売するというスタイルで、下北沢で始めました。

――本業でも忙しいと思いますがなんでまた

西荻窪にある「ニヒル牛」というお店に入ったときに、かわいいアート作品が入った箱がきれいに並んでいて、あっ、これやってみたいと思いました。
まあそれは長年の経験とセンスの良さがあっての“かわいさ”なんですけどね。一応今回の企画でもよくでてくる“協業”の形を取ったので忙しさは大丈夫でした。

――うまくいったんですか?

これはいい話なんですが、管理をしてくださっていた人が水道の水が漏れないように、蛇口を固く閉めすぎてひびが入いってしまい、そこから水が漏れ出して、弁償金などでお店が続けられなくなりました。

――話を聞いていると今回もいろいろと心配になりますが。

まあ大丈夫でしょう(笑)。

後編へ続くhttps://enbutown.com/joho/2024/09/16/sakaguchi-inter02/

9/25(水)まで(株)えんぶ、クラファンに初めて挑戦しています!

えんぶ最新号(2024年10月号)発売中!

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