劇団扉座第79回公演『北斎ばあさん−珍道中・神奈川沖浪裏−』 横内謙介・中原三千代・伴美奈子 座談会

劇団扉座の第79回公演は、北斎の登場しない極付けの北斎物語、『北斎ばあさん−珍道中・神奈川沖浪裏−』。江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の亡き後、残された腹違いの老姉妹、お美与とお栄が父の面影を辿る旅──
姉のお美与は、北斎の弟子で滝沢馬琴作「八犬伝」の挿絵を描いた絵師・柳川重信に嫁ぎ男子を得た。しかしこの息子が大変な悪童に育ち、祖父・北斎の名を使っては放蕩の限りを尽くし一家を悩ませた。妹・お栄は当時珍しい女絵師となり、北斎の代筆を勤めるほどの才能を発揮したが、女性であったが故に生前陽の目を見ることはなかった。
6月7日と8日は厚木市文化会館 小ホールにて、6月11日〜22日には座・高円寺で上演されるこの公演で、お美与とお栄を演じる扉座の誇る2人の看板女優、中原三千代と伴美奈子に、作・演出の横内謙介とともに作品世界と役柄を語ってもらった。

北斎という太陽が作った陰の中で生きる
──横内さんは滝沢馬琴など北斎に近かった人物の話は書いていますが、北斎について書くのは初めてですね。
横内 北斎はいつか書きたいとは思っていたんです。でも本人はずっと絵を描いてるだけだからね。あまり面白くならない(笑)。ただ、3年ぐらい前に扉座が墨田区に移転したんですが、北斎は本所の生まれで死ぬまでこの界隈で暮らしていたということもあってすごく身近になった。すみだ北斎美術館もあるし、墨田区にとっては北斎はすごく大きな存在なんです。それと僕は最近、劇団員にプレゼントするシリーズを書いていて、去年は山中崇史に『ハロウィンの夜に咲いた桜の樹の下で』を書いたんですけど、今年は劇団の重要文化財のようなベテラン女性俳優2人のために書こうと。大体どこの劇団にもベテランのワザ師みたいな女性は1人はいるけれど扉座には2人いる。この人たちを活かせる話はないかと考えていたら、北斎を思いついたんです。ちょうど大河ドラマでも『べらぼう』をやってるので便乗しようと(笑)。北斎には絵師になったお栄(応易)という娘がいたのは知られているけど、お美与という姉娘もいて、その息子がとんでもないヤツで北斎も散々迷惑をかけられた。その話も絡めれば姉妹の話で2人に演じてもらえるというところから始まったんです。
──姉のお美与を演じるのは中原さんですが、台本を読んでいかがでした?
中原 北斎の娘を演じるということで家系図を見てみたら、確かにお美与という人がいるのですが、どんな人でどんな人生を送ったのかという記録はないんですよね。ただ北斎をめぐるエピソードとして、お美与の息子が放蕩息子だったという話は出てくるので、そんな息子を生んでしまった母親はどんな人だったのかな、という思いがありました。それで台本を読んだら、なるほどという感じで書かれていて、お栄とは対照的な女性というのも面白いし、自分の劇団の作家を褒めるのもあれですが、感心しました(笑)。
──妹のお栄を演じるのは伴さんです。
伴 扉座には「大人サテライト」という活動があって、以前そこで北斎とかお栄を扱った作品を上演したので、お栄という人のことも葛飾北斎との特殊な親子関係なども、知識としては知っていたのですが、あまり詳しく調べたことはなかったんです。でも今回の台本には、この姉妹が父親の呪縛から人間として独り立ちする過程が書かれていて、お美与が息子のせいで死んだように暮らしていたことや、でも生きると決めてお栄と一緒に旅に出たこと、それなのに病いを得てしまうこととか、よくいる普通の人の話として書かれていて、現代の我々と一緒だなと思いながら読みました。
──北斎の娘という立場は特殊ですが、姉妹としての2人は私たちに遠くないですね。中原さんと伴さんが演じるということで、よりイメージが膨らんだ部分もあるのかなと。
横内 それはありますね。この2人だからこその掛け合いの面白さもあるので。最初は東海道五十三次みたいな感じの珍道中もので遊ぼうかと思っていたけれど、これだけ芝居ができる出演者を集めてやるのだから、もうちょっとやり甲斐のあるものにしたいと。そう思ったとき、北斎だ!と。それになかなか書きにくい北斎も、死んだあとなら書きやすいなと(笑)。
──切り口が見つかったのですね。
横内 4月に入院したとき、ずっと病室の天井を見ながら北斎のことを延々と考えていたら、見えたんです。やっぱり太陽なんだと。北斎って長生きしたから年取っている姿しか浮かばないし、煌びやかで強いイメージはないんだけど、やっぱりいっぱい陰を作っているんです。眩しすぎて。本人はただただ絵だけに人生を捧げて90歳まで生きた。不覚もあったかもしれないけどやりたいことをやった一生だった。でも周りは大変だし、陰の中でみじめになることもあったと思う。でも眩しかった太陽が落ちたらその寂しさもあるだろうし、それが腹違いで生き方も違う姉妹を結びつけたりすることもあるんじゃないかと。史実では最後までバラバラで生きていたとは思うんですけどね。

この世のものではない何かと話す人たち
──今回、そういう姉妹が一緒に旅をする話を、北斎の名画「神奈川沖浪裏」と絡めているのですね。横内さんの地元でもあります。
横内 あの絵は静岡県に見えるでしょう。でも横浜の本牧の港をちょっと出たあたりの風景で、全然旅というほどの距離じゃないんだよね(笑)。
──この絵のモチーフをさらに広げて、お栄の別れた夫やお美与の息子の物語へと繋げていったあたりはさすがです。
中原 私もお美与と放蕩息子の話がこうなるのかと。お美与は自分の人生を人任せで生きてきて、そのあげく育てた息子のせいで借金取りに追い回されて。地獄のような生活だったと思います。でもお栄に旅に誘われたことで、生き直そうと思った。やっぱり生きているなら楽しく生きようと。
──捨て身になってからのお美与は強いですね。お栄が描いたあぶな絵を男たちに売りつけるところなんて格好いいし。
中原 それまで人前で喋るなんてほとんどなかったんじゃないかと思いますけど、生き直すと決めたら、あそこまでの力が出るんですよね(笑)。
──妹のお栄も姉と旅をすることで変化する部分がありますね。
伴 いろいろ影響を受けていると思います。しかも神奈川に着いてから次々に奇跡みたいなことが起きて。襖絵を頼まれていた旅籠の主人が元夫だったり。北斎を好きな風神までいきなり現れたり(笑)。
──横内さんの芝居には、最近よくそういう人間ではない存在が登場します。
横内 北斎が描きにくいといったけど、喋っている相手が見えないからなんです。馬琴とかお栄とかお栄の元夫とか、周りの数人とは語り合えていたかもしれないけど、馬琴との関係なんて書き尽くされているし、お栄の話もかなり書かれている。ほかに北斎もお栄も本質的なことを語れる相手といったら、この世のものじゃない何かしかいない。本当は元夫が人間的には素晴らしい人なんだけど、絵が下手だったという一点でお栄の心には響かない。北斎みたいな孤高の怪物のそばにいたお栄が話せるのは、あとは化け物しかいない。北斎は人間と化け物を等価値で描いていますからね。それは風景も同じで、山とか浪とか森羅万象の神聖さとか美しさを描いた。そこが後世のヨーロッパの人たちに衝撃を与えたわけで。
──それで風神登場なのですね。
横内 それに岡森(諦)をどんな役にしようかと思ったとき、もうお化けぐらいしかないなと(笑)。
──横内さんもいつも見えない何かと喋っていそうな気がします。その風神とお栄の会話はどこかコメディ風でもありますね。
伴 お栄の台詞って、「うわー」とか「ぴゅーなんだよ」とか「もわーとしたもの」とか擬音が沢山出てくるんです。それで思ったのですが、私の友だちにも感覚で生きている人がいて、擬音が多くて、それを説明するのにまた擬音が出て来て(笑)、でもそれで通じ合える人がいたりする。お栄もこの芝居ではわりとちゃんと喋ってますけど、本当は「ぴゅー」の人で、北斎ともそれで通じていたんでしょうね。やはり絵で繋がっていることもあって、普通の親子より濃い一心同体の親子なんだろうなと思います。
──そういうお栄の常人ではない部分と、彼女を取り巻くお美与や元夫の浪越屋文蔵の人間らしい部分がうまく絡み合って物語を深めています。
横内 文蔵という人は一説では本当に存在したとも言われていて、お栄が姿を消したときに「文蔵さんに会いに行く」という言葉を残していったという話もあるんです。それでこの芝居では文蔵を元夫にして出そうと。
──その文蔵という人が本当に元夫だったら、なんだか救われますね。
横内 北斎についてはとにかく沢山調べたんです。墨田区は北斎なくしては始まらないので。それに2月に歌舞伎座で再演した『きらら浮世伝』で、37年前に自分を投影して書いたのは若い頃の北斎だったんです。その北斎は、蔦重(蔦屋重三郎)の周りにいた喜多川歌麿や山東京伝をはじめとする先行世代を、ちょっと斜めに見ている。無鉄砲に体制に向かっていったその世代と、少し遅れてその姿を冷静に見ている世代が出てくるんだけど、その遅れた世代が僕らなんです。その芝居では最後に蔦重が北斎に「お前、この写楽より凄い絵を描け」と言うんです。その『きらら浮世伝』を再演させてもらったことで、やっぱり北斎を書こうと。でも結局、死んだ後の話を書いてるわけなんだけど(笑)。

こういう時代劇では一番上手い劇団になりたい
──中原さんと伴さんに、お互いについても話していただきたいのですが。扉座がまだ「善人会議」の頃の入団で中原さんが6年先輩です。
伴 三千代さんはずっと努力し続ける人なんです。『ドリル魂』という工事現場のミュージカルの初演で、当時の若手たち、今はみんな40代なんですが(笑)、若手に混じって杉山(良一)さんと2人で同じだけ踊って、後半になるほどきつくなるのに、一番最後のダンスまでちゃんと踊ってて。私はもう無理だと思いながら観てました(笑)。決して器用ではないのですが、できるまで手を抜かない。いつもそういう背中を後輩たちに見せてくれて、とにかくエネルギッシュで、そういうところはずっと変わらないです。
中原 伴ちゃんは、劇団に入ったときすでに演劇学校出身で、お芝居の勉強もしっかりしてきて、私が先輩とか言えないくらい演劇の知識もすごいし、リスペクトしかないです。舞台上で何があっても冷静沈着でいつも安心しています。
──扉座公演は時代劇も多いのですが、おふたりは着物の着方がこなれていてさすがだなと。
伴 それが一番上手い劇団になりたいと、主宰はいつも申しております(笑)。
横内 この手の時代劇をやっている劇団は他にそんなにないけどね(笑)。歌舞伎でもなく自然な芝居をする劇団なんだけど、こういう時代劇では一番上手くなりたいと思っているんです。
──そういう意味では、歌舞伎や商業演劇のエンターテイメント性を取り入れながら、時代劇では独自の世界を構築していると思います。
横内 歌舞伎と一番違うのは、生身の女性がいることで、歌舞伎の世界で生身の女性がいなくてもできることを沢山経験したからこそ、逆に生身の女性がいることで描けるものもいっぱいあるのがわかったんです。そこが我々の強みだし、そして我々が描くのは大体は庶民が中心で、今回もほとんど偉人が出てこない。そういう芝居を今回は女性の主演でやる。若手もいっぱい出るので、2人を良い手本にして所作とか着物の着方とかしっかりやってもらいたいなと思っています。

37年前に『きらら浮世伝』を観てくれた人たちに観てほしい
──最後にこの舞台を観てくださる方へのメッセージを。
伴 私は勝手に形見分けシリーズと呼んでいて(笑)、形見分けをもらうって大変なことなんですけど、30年以上在籍していて、今回はこんな素敵な役をいただいたので、成功させないとと思っています。時代劇は最近少なくなっていますが、映画の『侍タイムスリッパ-』が大ヒットしたように、時代劇を観たい人は沢山いると思いますし、なくしてはいけないと思います。扉座は時代劇ができる人が多いし、外の舞台で他流試合をして、いろいろ持ち帰って教えてくれる人がいっぱいいる。それは強みなので、こういう形見分けシリーズをやってくれるのは嬉しいです。北斎の娘2人で主役をやらせてもらえるのがとても幸せですし、とても面白い人間ドラマになっていますので、よろしくお願いいたします。
中原 ここまで女性をフィーチャリングした芝居は、扉座ではわりと珍しいと思います。伴ちゃんと私の役は生き方が違う2人で、仕事をしている女性、家庭に入った女性、それぞれが触れ合って影響されていく。そういう女性同士の会話も観ていただいて、楽しんでいただければと思っています。
横内 『べらぼう』便乗企画として(笑)、ドラマを観ている人たちも、それこそ『きらら浮世伝』を37年前に観てくれた人にも観てほしいなと思っています。お美与が67歳から生き直す、ここをまたスタートにするということは、僕らにとっても切実なテーマなので、ちょっと大人の世代に観てほしいし、小劇場ブームを盛り上げた人たちにぜひ劇場に戻ってきてほしいですね。

■PROFILE■
よこうちけんすけ○東京都出身。1982年「善人会議」(現・扉座)を旗揚げ。以来オリジナル作品を発表し続け、スーパー歌舞伎や21世紀歌舞伎組の脚本をはじめ外部でも作・演出家として活躍。92年に岸田國士戯曲賞受賞。扉座以外は、スーパー歌舞伎II『ワンピース』(脚本・演出)、スーパー歌舞伎II『オグリ』(脚本)、パルコ・プロデュース『モダンボーイズ』(脚本)、坊っちゃん劇場『ジョンマイラブージョン万次郎と鉄の7年ー』、歌舞伎『日蓮』(脚本・演出)歌舞伎『新・三国志』(脚本・演出)、『スマホを落としただけなのに』(脚本・演出)、明治座『隠し砦の三悪人』(脚本)、新橋演舞場『トンカツロック』(脚本・演出)、新橋演舞場『劇走江戸鴉~チャリンコ傾奇組~』、歌舞伎座「猿若祭二月大歌舞伎」『きらら浮世伝』(脚本・演出)など。
なかはらみちよ○宮崎県出身。1983年劇団「善人会議」(現・扉座)入団。小柄な身体を活かして、外部舞台や映像で幅広くバイプレイヤーとして活躍中。最近の劇団作品は、『解体青茶婆』、『ホテルカリフォルニア−私戯曲 県立厚木高校物語−』、『神遊―馬琴と崋山―』、『最後の伝令 菊谷栄物語-1937津軽~浅草-』、『歓喜の歌』。外部出演は、新国立劇場『あーぶくたった、にいたった』、新国立劇場『楽園』。ドラマ『虎に翼』(NHK)など。
ばんみなこ○神奈川県出身。桐朋学園演劇科を経て、1989年「善人会議」(現・扉座)入団。近年の劇団作品は、『ホテルカリフォルニア−私戯曲 県立厚木高校物語−』、『神遊―馬琴と崋山―』、『最後の伝令 菊谷栄物語-1937津軽~浅草-』。外部出演は、パルコ・プロデュース『モダンボーイズ』、ブレイヴステップ『私の下町-母の写真』劇団トローチ『熱く、沼る』、新橋演舞場『トンカツロック』、劇団HOTSKY『ほおずきの家』など。

【公演情報】
劇団扉座第79回公演
『北斎ばあさん−珍道中・神奈川沖浪裏−』
作・演出:横内謙介
出演:中原三千代 伴美奈子 岡森諦 有馬自由 犬飼淳治 鈴木利典 鈴木里沙 松原海児 野田翔太 藤田直美 三浦修平 小笠原彩 北村由海 佐々木このみ 土岐倫太郎 他
●6/7・8◎厚木市文化会館 小ホール
●6/11・22◎座・高円寺
〈チケット問い合わせ〉扉座 03-3221-0530
〈扉座公式サイト〉https://tobiraza.co.jp/hokusai
〈公式X〉@tobiraza(https://x.com/tobiraza)
【取材・文/榊原和子 撮影/田中亜紀】