
「尾上辰之助」の名前が、新たな魅力をまとって24年ぶりに歌舞伎界にかえってくる。
若干19歳ながら、近年は立役のみならず女方の役にも意欲的に挑戦し、着実に力をつけ、才能を開花させている尾上左近。その左近がこのたび、2026年5月に歌舞伎座で行われる「團菊祭五月大歌舞伎」で三代目尾上辰之助を襲名することが決まった。
初代尾上辰之助は、明瞭な口跡に凛々しい容姿、情熱と才気あふれる舞台ぶりで、若き日の十二代目市川團十郎、今の七代目尾上菊五郎とともに昭和の「三之助」ブームを巻き起こし、将来を嘱望されながら、わずか40年の人生を電光石火で駆け抜けた(亡くなった後、三代目松緑を追贈)。往年の歌舞伎ファンにとって、初代辰之助は今もどこか特別な響きをもっている。
そして二代目辰之助は、今の尾上松緑。早くに父の初代辰之助、そして祖父の二代目松緑をなくし、16歳で辰之助の名前を継ぎ、11年間名乗っていた。今の八代目尾上菊五郎、十三代目市川團十郎とともに平成の「三之助」として、祖父や父の当り役をつとめながら、講談を歌舞伎化するなど、独自の新境地も開拓している。この2人の辰之助を祖父、父にもつ左近の襲名には期待が集まっている。
襲名披露の演目と役は、1つは荒事を代表する『寿曽我対面』の曽我五郎、そしてもう1つは、尾上松緑家では左近が初めて手掛けることになる『鬼一法眼三略巻 菊畑』の虎蔵。父も、祖父も辰之助襲名の際に演じた曽我五郎に、左近ならではの方向性を示すような虎蔵という二つの役で、新しい辰之助がその手でどんな扉を開けるのか、楽しみに待ちたい。
11月下旬、都内でその記者会見が行われた。会見には、松緑の後見となってきた七代目尾上菊五郎、尾上松緑、尾上左近、松竹株式会社取締役副社長・演劇本部長の山根成之が出席。それぞれから挨拶の後、質疑応答に。1つ1つの質問に対し、言葉を選びながら、噛みしめるように答える左近、そして父・松緑の姿が印象的だ。

【挨拶】
山根成之 この辰之助というお名前は、二代目松緑さんのお家に良い名前がなかなかなく、当時、作家の川口松太郎さんと相談して決められたと、先輩から昔よく聞きました。辰之助は若々しく、力強く、青春の風のような香りがする本当に素敵な名前。初代辰之助さんも、名乗ってらっしゃった頃の松緑さんも、まさしくそういう俳優さんでした。左近さんも2人の清々しさを引き継がれ、非常に爽やかな尾上辰之助さんになれると思います。『対面』の五郎は代々の辰之助さん襲名狂言で、今回、三代目を襲名するにあたり選ばせていただきました。『対面』の工藤は音羽屋さん(七代目菊五郎)にお願いし、劇中で「口上」をしていただきたい。『菊畑』の虎蔵は今の左近さんに合ったお役で、非常に素敵な虎蔵です。華やかな舞台になると思います。どうぞよろしくお願いいたします。

尾上松緑 ただいま発表していただいた通り、息子左近が、彼の祖父にあたる初代辰之助の名跡を三代目として襲名させていただくことが決まりました。松竹株式会社のおすすめ、またご列座くださっている菊五郎のお兄さんをはじめとした諸先輩のご了解をいただき、襲名させていただきます。まだまだ若年ではございますが、これから彼の曾祖父、祖父の足元に一歩でも近づけるような役者になっていただきたい。どうぞ皆様、応援をよろしくお願いいたします。

尾上左近 来年5月「團菊祭」において、尾上辰之助の名跡を三代目として襲名させていただく運びとなりました。この名前は、初代辰之助である祖父が初めて名乗り、その後父が若くして名乗り、命を懸けて守り繋いでくれた、私にとって大切な名前です。襲名させていただくからには、より精進を重ね、努力してまいる所存です。皆様にはご指導ご鞭撻のほどひとえにお願い申し上げます。

七代目尾上菊五郎 このたび、松緑の長男・左近が尾上辰之助を襲名する、本当に嬉しいことです。初代の辰之助とは私は大親友で、巡業に行っても同じ部屋だったし、思い出が本当にいろいろございます。その辰之助が早く亡くなり、その折に松竹の永山会長(当時)より、そのとき左近だった今の松緑の後見人をするようにと命じられました。その関係で、今の左近の初お目見得、初舞台でも私が口上を述べさせていただいた。その左近が、19歳なんですよね。ここ2、3年めきめき力をつけてきて、私のみならず、劇界の先輩たちも「本当に研究熱心だ、勉強熱心だ」と褒めています。それはどうしてかというと、祖父も父もいかつい体つきですが、当人が女方もやると。歌舞伎界で数少ない女方の誕生、こんな嬉しいことはありません。そして立役もやる。どうか今の研究熱心、勉強熱心を忘れず、ゆくゆくは祖父、父に勝るとも劣らない立派な辰之助像を作ってもらいたい。どうか皆様、三代目尾上辰之助をこの後ともにご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
【質疑応答】

──左近さんへ、襲名の話はいつ頃どのような形であったのか。またどういった辰之助を目指されるか?
左近 襲名のお話は、去年の段階から近々あると父から聞いていました。本格的に決まったのは、今月の頭に松竹さんからご報告のお電話をいただいて知りました。その後、父にも決まりましたと報告をしました。どのような辰之助を目指すかは、やはり祖父、父とどうしても体格も違いますし、自分で言うものでもないとは思いますが、柄も違います。憧れですが、やはりそういった違う面をしっかり認識して、先ほど菊五郎のお兄様にも言っていただいた通り、ありがたいことに女方や前髪の若衆の役などいただき、そういう役をするのも好きなので、そうした役もでき、また家に伝わる、六代目菊五郎から受け継がれてきた荒事、生世話(きぜわ)の役もしっかり勉強して、継いでいけるよう精進していきます。
──左近さんの襲名のお話を聞いて、お父様としてはどういったお気持ちでしたか?
松緑 私は菊五郎の兄さんのお力を仰いで襲名させていただいたのが中学3年でした。まだ声変わりも終わっていませんでしたし、その時は早かったのかなと思っておりました。彼は辰之助襲名の時は20歳ですが、良いタイミングであったかなと思いますし、本人も申します通り、私とは役柄が違います。とはいえ、顔立ちなどは私よりもどちらかというと祖父の初代辰之助に似ているところがある。彼にとっては祖父、私にとっての父・辰之助という人が、お客様や諸先輩方、同輩の方たちのなかでも鮮烈な印象があったので、どうしてもそこにとらわれていた部分が未だにあると思いますが、これからいろいろなことを吸収して、彼には自分自身の自由な辰之助像を作ってもらいたい。
──左近さんの襲名のお話は、どんな形で出ていたのでしょうか?
山根 襲名の話は、昨年のうち、音羽屋さんとも相談しながら決めさせていただきました。やはり今、若い歌舞伎俳優さんたちが頑張っていただいています。いろんな意味で大きい役をやっていただいたりして、皆さん本当に競っていただいている。左近さんと一緒にお芝居したいという同世代の方は、たくさんいらっしゃいます。仲が良いことが全て良いということではないと思いますが、左近さんの世代の方は、皆さんひとつの土俵のなかで歌舞伎のために頑張ろうとなさっている。そこで左近さんは、非常に良いキャラクターをなさっているので、皆さんから愛されているという感じを私は受けています。
──左近さんは、実際にはお祖父様にはお会いしていませんが、初めて辰之助という役者がいたと意識したのはいつ頃でどんなきっかけか、またそれが自分のなかでどんなふうに大きくなっていったのか?
左近 祖父の存在を意識したのは、大人の役をいただくようになってからで、その大きさ、格好良さを感じました。同時に、その憧れであり大好きな祖父の存在を、ちゃんと見ることができていないことも、自分のなかでとてもつらい部分はありました。ただ、先ほど父も申しました通り、祖父を知らない強さもきっとあると思います。自分のなかではヒーローのような存在ですが、その分自分の色も出していける、そういう道を歩んでいきたい。

──今の左近さんをご覧になって、初代の面影などを感じる部分はありますか?
七代目菊五郎 全然感じないですよ(一同笑)。初代とは本当にもう、2人で悪いことばかりして(笑)。がっちり組んでお芝居をする前にあいつが亡くなっちゃったんで、思い出としては弁天小僧と南郷とか、『身替座禅』の右京と奥方とか、『め組の喧嘩』の辰五郎や『魚屋宗五郎』をやれば私が女房役とか、本当にお互い切磋琢磨していましたが、それでも今より甘かったです。本当に新種ですよね。新種というか珍種。親にもお祖父ちゃんにも似ていない。珍種ができた(笑)。
──体格や役柄もお父様と違うと仰いましたが、それでも日々共演するなかで、お父様から役者として学んだことは?
左近 基本的に父はあまり言葉では言わないタイプで、どちらかというと、背中を見て覚えろよという教育の仕方をされていました。 ですが、本当に……父は、あまり自分のことをよく言わないのですが、本当にそんなことはなく、僕にとっては父も憧れであり、偉大な役者で、まだまだ教えていただきたいことがたくさんある、そのような人です。もちろん、これから父がやっていない役をやることも多くなってくるように、自分も頑張らなければと思います。その時は見守っていただいて、また家の芸、父がやってきたものをさせていただける時は正々堂々父と向き合い、父の姿を見て学んでいけたら。
松緑 息子にフォローされるんだ(笑)と思ってしまいましたが、とにかく彼には、子役の頃は皆さんが仰る通り、わりとギャンギャン怒っていましたが、最近では、彼自身がもう昔でいえば元服をすぎたので、一個人として見たほうがいいのだろうと思っています。よっぽどのことがあれば「お前それは駄目だよ」と言いますし、芝居のことで質問をされれば答えることはありますが、あまり呪縛にとらわれず、がんじがらめにならずに自由な辰之助を作っていってもらいたい。そうするなかで初代とはまた違う色の辰之助ができると思う。先ほどの柄の話にもあるように、彼が虎蔵をするのは、その役を非常に魅力的に感じて勉強したいというところからなので、そのように二代目松緑も初代辰之助も私もやっていない役を、これからどんどんやっていくと思います。そうやって自分の栄養をつけて、オリジナルな辰之助を作ってほしい。

──辰之助は、市川新之助・尾上菊之助と並んで「三之助」と呼ばれることも多いのですが、令和の「三之助」として、どのように歌舞伎を引っ張っていきたい?
左近 私個人として「三之助」という存在は、昭和の三之助、平成の三之助ともに、本当に役者として憧れであり、大好きな先輩方です。令和の「三之助」というには、少し僕が年を取り過ぎてしまったと思いますので、あまり意識していません。菊之助さん新之助さんとまたいろんな演目でご一緒させていただくのはとても楽しみですが、僕の大好きな昭和、平成の三之助の皆さんとはまた少し違う形になるのではないかと。
松緑 私もあまりそこは考えていません。「三之助」は、やはり菊五郎の兄さん、亡くなった十二代目團十郎のおじ、そして初代辰之助、そういう先輩たちが残してくれたもので、私と八代目菊五郎さん、十三代目團十郎さんはそのおかげで「三之助」と呼ばれていたと思います。自分たちの力だったと思っておりません。未だに八代目さん、成田屋さんと芝居をするのはとても楽しいですが、あまり我々世代にそういう意識は、皆さんが思うほどないのではないか。彼にとっては、菊之助さん新之助さんもそうですが、他にも一緒に芝居をしていく人は多いと思うので、いろんな先輩、同輩、後輩たちと芝居をして、これからの歌舞伎を作っていってもらいたい。
──五郎と虎蔵ということですが、演目が決まるまでの過程や、役の魅力などは?
左近 『寿曽我対面』の五郎は、祖父も父も辰之助襲名で演じている役なので、自分のなかでもこの演目で襲名したいという気持ちが強くありました。やはり紀尾井町の荒事があるので、しっかり父に習い、それを汚さぬよう精一杯つとめたい。反対に『菊畑』の虎蔵は、本当に個人的に好きな演目、好きなお役で、前半の若衆、奴の色気、可愛げ、そして後半のいわゆる総大将の重みや強さ、そういうものの切り替わりや、義太夫狂言ならではの色彩のある華やかな舞台、台詞回しがとても好きな芝居です。やはり家にはあまり縁のないお役ですので、八代目菊五郎のお兄様に教えていただき、精一杯つとめたい。

──松緑さんは以前、左近さんは初代辰之助さん、二代目松緑さんからの預かり物で、それを育てるのが自分の仕事と仰っていました。お2人は今のところどんなふうに見てくださっていると思いますか?
松緑 そうですね…亡くなった人たちの意見は聞けないので非常に残念ですが、やはり私が、父が死に、祖父が死んだ後に、菊五郎の兄さんが本当に傘になり後ろ盾になり育ててくださった。そういう恩もあります。もちろん当時は、自分が子どもを持つとか、自分の息子が左近になり辰之助になることは想像していませんでした。でも今こうやって、襲名の時にはもう20歳で、ここまでは本当に、私がどうこうでなく、諸先輩方のお教えや、私はあまり神様とかを信じるほうではないですが、二代目松緑、初代辰之助の加護が彼はあるのかなと思っております。彼がこれからますます勉強をしてくれて、気が早いですが、ゆくゆく辰之助の後に松緑になるのかどうかもありますが、そうなった時に、私は初めて「あなたたちの孫、ひ孫はこうなりましたよ」とお墓、仏壇に報告できるんじゃないかなと思っています。
──左近さんから、改めて襲名への思いをお願いします。
左近 辰之助という名前は、自分にとっても家にとっても本当に大切で大好きな名前です。この名前を継がせていただくからには、生涯をかけて芸道に精進し、諸先輩方のお力添えをいただき、同輩後輩と手を取り合い、一生懸命歌舞伎に打ち込んでまいります。どうぞ最後までよろしくお願いいたします。

【公演情報】
歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」
『寿曽我対面』曽我五郎
『鬼一法眼三略巻』「菊畑」虎蔵
出演:七代目尾上菊五郎 尾上松緑 尾上左近 ほか
【取材・文/内河 文 写真提供 (C)松竹】



