
歌舞伎俳優としてだけでなく、歌い手としてコンサートも大切なライフワークとしている坂東玉三郎が、2026年の4月に新橋演舞場で、アコースティック兄弟デュオ「竜徹(りゅうてつ)日記」としても活動する木村竜蔵・木村徹二の2人とコンサートを開催する。演歌歌手の鳥羽一郎の子息である竜蔵(兄)と徹二(弟)、その才能に惚れこんだ玉三郎が、今回はコンサートの構成・演出そしてMCをつとめる。
シンガーソングライターとしてのみならず、作詞・作曲も多数手がける竜蔵、演歌歌手として活躍し、「輝く!日本レコード大賞」の新人賞や「日本ゴールドディスク大賞」のニューアーティスト賞などを受賞して、演歌界の注目を集めている徹二。この3人の個性が融合してどんなコンサートとなるのか。11月上旬、この取材会が都内で行われ、坂東玉三郎、木村竜蔵、木村徹二が出席、挨拶の後、質疑応答が行われた。
【挨拶】
坂東玉三郎 今年の初めに、鳥羽一郎さんとこのご子息お二人のテレビの番組を見ました。お話ししたり歌ったりするなか、鳥羽さんが視線をお子さんに向けない、お二人も歌ったりしている時は全く見ない。でも、お父様の二人を思いやる気持ちや、お父様の尊敬と愛情に包まれたお二人が自由に歌ったり喋ったりしながらも、お父様のお教えをどこか尊重して、いい意味での畏れも持っていることが画面から見えました。その後、山川さんもご一緒の鳥羽さんのご兄弟、そしてこちらのご兄弟の番組を見て、家族は素晴らしいものだなとつくづく感じたんです。
鳥羽さんご兄弟も歌謡界にいらして、竜蔵さん、徹二さんが同じ世界で活躍なさることにも感動しました。何とか生の舞台を拝見したいなと思っていましたが、なかなか行けませんでした。たまたま名古屋に用事があり、この間のファミリーコンサートを拝見しました。素晴らしかったです。だいたい他の芝居やコンサートを観る時は、自分で買ってそっと帰るのですが、その時はチケットが取れず、こちらの事務所の方にお尋ねしたので、ご挨拶することになってしまいました。開演前にお目にかかって、終演後はそのまま帰って、お弁当を買って新感線に乗ったら、偶然に鳥羽さんと同じ車両でした。「今日はこういうわけで拝見に行きました」と言ったら、鳥羽さんが「玉三郎さん、僕と同じ誕生日ですね」と言ってくださった。調べているんだなと思いました。そんなことから、ご兄弟の事務所のほうからお話があり、何かご一緒にできたらとお話しておりました。
私は芝居の演出はしておりましたが、コンサートを作ることは初めてなので、ぜひやらせていただきたいと申しました。竜蔵さんは「竜徹日記」というものをお二人でされていて、トークを重要視している。徹二さんは気遣いがすごい方で、みんなが黙っていると一人で喋っている感じがしました。いろいろ話すうちに、二人は歌うことに専念されて、僕が喋るのはどうだろうかということで、新橋演舞場で2回公演の運びになりました。
鳥羽さんたちのコンサートでは客席のご挨拶とか、花束をあげたり、サイリウムを振ったりしますが、今回は静かなコンサートで、サイリウムはアンコールまでお待ちいただき、プレゼントは歌の間はお待ちいただき、握手をお待ちいただき、それを私が前で止めるという役割でお喋りをさせていただきます。二人とも素晴らしい歌い手さんですので、皆様にご紹介できて、これからますます活躍できたら、私の力添えできることがあればと、今日に至りました。
木村竜蔵 鳥羽一郎の長男で、木村竜蔵と申します。もともと私もシンガーソングライターとして10代から活動していました。2016年からは弟と「竜徹日記」のユニットをやりながら、今は作曲・作詞のお仕事がメインにはなっていますが、このような光栄な機会をいただき、非常に身が引き締まります。歌に真摯に向き合う機会をいただき、とても感謝しています。皆様が楽しんでいただけるようなステージを作れたら。どうぞよろしくお願いします。
木村徹二 二人で活動してきて、僕らから何かご一緒できませんかとご相談したら、快く受けていただき、このような形でご一緒させていただく運びとなりました。僕は普段は演歌の歌い手として活動したり、兄と二人で活動したり、いろんな形でやらせていただいています。普段はトークやお客さんとの触れ合いがあったり、複合的な部分でステージを構成していますが、今回は歌の部分の魅力をぐっと高めて皆さんに楽しんでいただけるステージが作れたら。しっかり歌と向き合って良いステージにできればと思いますので、ぜひ応援をいただけたら嬉しいです。

【質疑応答】
──玉三郎さんの世界がテーマですが、どういうものをイメージすればいいでしょうか?
玉三郎 お二人とマネージャーさんと、お二人のコンサートを演出や構成だけにするのかというご相談をした時に、竜蔵さんは作詞・作曲をなさる方で、本当に思慮深い方だし、徹二さんは気遣いの人ですが、どういう題名にしようかと言ったら、木村竜蔵、木村徹二という名前と坂東玉三郎という名前が三つ出るタイトルはないだろうかと話していたんです。そしたら竜蔵さんが「木村竜蔵 木村徹二が歌う坂東玉三郎の世界」がいいんじゃないかと。徹二さんは演歌界、竜蔵さんはJ-POPの方です。私たちは1950年代に生まれたので、50年代60年代のスタンダードや、カンツォーネとか、J-POPとか、懐メロと言わず、懐かしい素晴らしい名曲を二人の素晴らしい声で再生してもらいたい。私の兄はナット・キング・コールの大ファンで、私はトニー・ベネットが好きで、ずっと聞いてまいりました。そういう意味で、アメリカンスタンダードか、カンツォーネか、J-POPか、そういうもので構成したらどうか、そしてお二人のヒット曲も入るなら、僕の世界ということになるのかなと三人で相談しました。
──近年の玉三郎さんは、若手にお稽古をつけながら一緒に舞台を作っていく活動をされています。今回は歌の世界ですが、お二人のこういうところを伸ばそう、稽古をつけるという点ではいかがでしょうか?
玉三郎 もう育っちゃっているので、十分安心していますが(笑)、僕たちの時代のコンサートは、シックな、歌だけを聞かせるものでした。例えば、越路さんのトークは岩谷時子さんが書いて、すごくシンプルなトークだけで次の曲に入ったんですね。今は結構トークが多いコンサートなので、私たちが慣れている昔のコンサートにしていきたいなという僕の思いです。お二人とも話していて、お兄様も初めは「僕たちの意見は聞いていただけるんでしょうか?」と。もちろん僕は聞くどころではなく、二人の良い歌を客席で聞きたいというのが僕の最終的な望みです。
──お二人は玉三郎さんの歌舞伎の公演やコンサートをご覧になったことは?
竜蔵 こういったお話をいただく少し前に、映画の『国宝』なども拝見して、マネージャーと、生の歌舞伎も観たことがなかったので拝見させていただきたいという話をしていました。たまたま『火の鳥』を拝見して、やはり彼(徹二)は今、演歌の世界でやっていて、僕はそこの作家として関わっていますが、どうしても演歌で父、叔父を見て育ってきたので、歌謡曲という文化がもう少し元気になってほしいというのが僕らの目標です。少し恐れ多いですが、歌舞伎というものも日本特有の文化として残していくべきものとして興味があり、一度拝見しました。外側から観ていて、歌舞伎の世界の方々はすごく創意工夫というか、やはり演目を盛り上げるため、世界、業界を変えようとする力を感じました。そういったところは、演歌、歌謡界にも勉強させてもらうところはあるかなと感じました。
徹二 演歌のステージは小さい頃から父も叔父も見ていて、今回『火の鳥』を拝見した時、もちろん演目自体もそうですが、僕らは結構お客さんの反応を見ていて、演歌のステージとは全然違う感覚、雰囲気、環境でのステージで、そこにすごく感銘を受けました。演歌であれば歌が楽しい、トークが楽しい、触れ合いが楽しいみたいな複合的な楽しさがありますが、歌舞伎はお客さんのなかに緊張感があって、「この演目を楽しむぞ」という心をすごく感じました。そういったものを今回のステージに活かせたらと思います。
──演舞場ならではの演出や、お二人にこういうことをしてほしいということは?
玉三郎 ごくごくシンプルで、30~40人のオーケストラというか演奏家がいるだけ。そして、歌っているだけで、何も喋らせないということにしております。忙しい二人ですが、演舞場がたまたま空いていたので、演舞場ではどう?ということにしました。
──お二人は少し普段より緊張感のあるコンサートなりそうですか?
竜蔵 そうですね。普段の我々のライブでは、本当に半分以上喋っているので、歌のみで勝負するという点は、歌い手、作り手としてはこんな光栄なことはないという機会をいただいた。やはり来ていただいた方にご満足いただけるように、お歌だけでお見せできるように頑張って作っていけたら。緊張感はやはりあります。
徹二 緊張感は非常に持った状態で、今ももちろんそうですが、多分どんどん高まっていくんだろうなという感じはします。普段はいろんなホールでやらせていただいていて、どの場所も素敵な場所ですが、やはりまた違った雰囲気だと思います。緊張感を楽しめるように、来年の4月まで心と体を鍛えていければと思います。
玉三郎 やはりここでやって、また日生劇場とかでロングリサイクルとかができるようになったら。調べたら、リサイタルは一人でやるということになので、それが開けるようになりたいなと僕としては希望を持っています。そういうコンサートがあまりなくなってしまったので、それを観たいというのが僕の望み。竜蔵さんとも徹二さんとも、難しいことを考えてないので、僕は観たいものを作りたい、聞いていたいだけと言っています。
──お二人から、普段のコンサートはトークが半分ぐらいと仰いましたが、今回はトークは何割くらいですか?
玉三郎 なるべく短く。セットリストが決まった時点で、1950年代の、僕は空とか宇宙に興味があるので、例えば「虹の彼方に」とか「スターダスト」から始まって…ストーリーではないけれど、次はこうやってお二人が歌ってこられて、映画のシーンのこういうもの…というふうに、流れをちゃんと自分で作っていこうと思います。ですから、トークもフリーじゃなくてちゃんと作られたトークで、もちろんなるべく喋らせたくはないですが、最後にお客様にお礼をきちっと言ってアンコールをさせていただく。そこで皆様には、楽しく聞いていただいたり、サイリウムを振っていただいてもいいかと思いますが、できれば歌を聞いていただきたいなと思います。
──お父様は、公演が決まってお言葉とかはありましたか?
竜蔵 なかなか我々は言葉が少ない親子ですが、さすがに今回ばかりは、やはり名古屋のコンサートに玉三郎さんがいらっしゃって、それを聞いた時に、僕らはそれまで何も話をしていなかったので「お前らどうなってるんだ。何かしたのか。本当に失礼のないようにだけはしろよ」みたいなことは、珍しく話していました。やはり父もそうですが、母も前々からファンでしたので、とても喜んでいましたね。
徹二 僕はやはり今、演歌のステージで親子のコンサートが多いですし、山川さんも含めて三人のコンサートもたくさんありますが、そのなかでこうやってお話をいただいて、僕らからお願いをしてステージをやらせていただくというお話は、あまり僕らからは父に話していなかったので、すごくびっくりはしておりました。すごく無口でシャイなので、僕らに対しても言葉をあまり多く語らない人ですが、あまり見たことがない姿ですが、この間ぼそっと「玉三郎さんとご飯とか食べられるのかな?」と言っていました(笑)。ちょっとわからないということは伝えておきました。
玉三郎 どうぞ(笑)。帰りの新感線では、無口といえども、僕にはすごくよく話してくれたし、多分お二人がわからないお父様の顔だったんじゃないかな。
──最後に公演に向けた意気込みやメッセージをお願いします。
徹二 演歌の歌い手としてまだ3年足らずですがやってまいりまして、いろんなステージやらしていただきましたが、また違った世界に挑戦させていただける場をいただきました。新しい世界に踏み込んで、自分の歌の世界観を含め、木村徹二としての魅力も広げられたらという思いで一生懸命頑張らせていただきます。よろしくお願いします。
竜蔵 弟がいる演歌の世界や、僕もポップスの世界にいて、自分は19年ほど音楽をやっていますが、やはり今まで触れたことがないような音楽、映画のお話や、60年代のアメリカンスタンダードの音楽など、玉三郎さんは非常に知識が深いもので、いろいろと勉強させていただきながら、またとても恐れ多い立場ですが、関わらせていただいた以上は、クリエイターどうし意見をぶつけ合いながら、いろんなものを作っていけたら、自分にとって最高の財産になるかなと思います。その瞬間をぜひご覧いただければ幸いでございます。
玉三郎 あまり難しいことは考えていなくて、二人の素晴らしい歌をぜひ演舞場でお楽しみいただきたい。そのために私が、自分のよく働いていたところで、スタッフと一緒に、彼らの歌をどれだけ周りに出せるかに尽力したいと思います。

質疑応答の後は、ミニコンサートが行われた。まずは竜蔵が「雨」(玉置浩二、安全地帯)を披露。シンプルなピアノの伴奏で、哀切なバラードをのびやかに歌い上げた。続いて徹二が「太陽は燃えている」(エンゲルベルト・フンパーディング)を披露。こぶしのきいたパワフルな歌声は、まさに“アイアンボイス”。最後に「竜徹日記」として、オリジナル曲「めぐりめぐる」を披露した。抜群の歌唱力と、まったく違う個性を持った木村兄弟の才能と魅力が、短い時間のなかでも強く印象に残るミニコンサートとなった。
【公演情報】
『木村竜蔵 木村徹二が歌う 坂東玉三郎の世界』
構成・演出・MC:坂東玉三郎
出演:木村竜蔵 木村徹二
●2026/4/2〜3◎新橋演舞場
〈公式サイト〉https://www.shochiku.co.jp/play/schedules/detail/202604_enbujo/
【取材・文/内河 文 写真提供/松竹】



