(能美武功さんによる題名に関する説明)
この芝居の原題は Fumed Oak. 直訳すると「いぶした樫の木」。いぶした樫の木の家具は貴族の象徴。カワードはこれを皮肉った。しかし日本ではそれは分かり難いので、標題の題名を採用した。
*
植本 今回はノエル・カワードの『大脱出』。
坂口 短い作品です。
植本 「今宵八時半」という大きい括り中に作品が10本あって、で、そのうち一回に3本ずつ選んで上演する、みたいですね。
坂口 これはその中の一本ですね。
植本 はい。
坂口 だから短いんですね。
植本 そうそう。これは本人曰く不快な喜劇って何かに書いてありました。
坂口 僕はとっても愉快だったですけどね(笑)。
*
坂口 ノエル・カワードって1900年代中盤に活躍した大変な人なんですね。「イギリスの俳優・作家・脚本家・演出家。作詞・作曲、映画監督もしている」って『ウィキペディア』に載ってました。
植本 (笑)。
坂口 その割には日本ではそんなにこう〜
植本 結構やってますけどね。
坂口 観る人が限られてるよね。まあ今はどれもそうですけどね。
植本 わりとアッパークラスのものを書いてますよね。
坂口 皮肉で成熟した男女関係みたいなことが得意なのかな。
植本 ご本人が重苦しいのが好きじゃないって書いてあって。軽妙洒脱な感じが好きな人のようですね。
坂口 僕らが、植本さんを僕と同じ世代にするのはなにだけど。
植本 いいですよ(笑)。
坂口 いわゆるアングラから小劇場にかかっている人にはちょっと馴染みが薄いかもしれないですね。
【登場人物】
・ヘンリー・ガウ
(長身で痩せ型。青いサージのスーツをキチンと着ている。縁無し眼鏡。頭の側面に少し白髪。天辺は少し薄い)
・ドリス
(ガウの妻。35歳くらい。かっては美しかったかもしれないその顔も、今は、への字に曲げた唇と、優しさのない表情で、すっかり原型を留めていない)
・エルスィー
(ドリスの娘。十四歳くらい。ストレートヘアの、普通の女の子)
・ミスィズ・ロケット
(ドリスの母。小太りで、灰色の髪。年のせいで足が悪く、厚いキルトのスリッパを履いている)
場:ロンドンにあるガウ家の居間
時:現在
第一場 朝
第二場 夕方
植本 えーと、登場人物が4人です。旦那さんと奥さんと、その娘と、そのお母さん。
坂口 そうですね。
植本 妻の方のお母さんですね。
坂口 はい。
植本 二部構成になってて、最初が朝でしょ。で、次が夕方じゃないですか。全然内容知らないからどんな話なんだろうと思って読んでったら、あ、こっちに転がる話かなと思って。
坂口 最初見てたらなんのこっちゃっていう話。朝の家庭の淡々とした、
植本 ギスギスはしてますよね。
坂口 でも、どこの家庭でも大なり小なりありがちというか。
植本 まあね。
坂口 これ今の話?みたいな感じもします。
植本 書かれたのは1930年代かな。
坂口 100年近く前ですよね。今の話としてもおかしくないし、工夫すれば男女入れ替えても大丈夫かなっていう。ほら、「ノラ」とかそういうので、女の自立みたいなのが。
植本 これ男の自立の話なの?
坂口 自立というか開き直りというか、自立って基本的に開き直りじゃないですか。
植本 たまりにたまったお父さんの鬱憤が爆発した話ですね。
第一場 (前略)
(ト書き)
幕が上ると、春の朝、8時30分頃。外は雨。フレンチ・ウインドウに、雨の滴の跡。朝食がテーブルに並べられている。ミスィズ・ロケットが暖炉の前の肘掛け椅子に坐っている。ドリスはテーブルについて、薬味の壜に新聞を立て掛け、読んでいる。エルスィーはドリスの向かい側に坐って、トーストをゆで卵につけて食べるため短冊切りにしている。
全員無言。時々スプーンがカップをがちゃがちゃ鳴らす音と、風邪気味のエルスィーが鼻をすする音がするのみ。
ヘンリー・ガウ登場。無言でテーブルにつく。ドリスは機械的に立ち上って出て行き、すぐ帰って来る。手にタラの皿。それをヘンリーの前に置き、また自分の場所に戻る。ヘンリー、自分で茶を注ぐ。ドリス、新聞から目を離さず、ミルクと砂糖をヘンリーに渡す。やがてエルスィーが沈黙を破る。
(本文)
エルスィー ママ。
ドリス 何。
エルスィー 私、髪をアップにしていい?
ドリス(びしりと。)まだ早過ぎます。
エルスィー グラディス・ピアスは上げてるのに。私と同い年じゃない。
ドリス グラディス・ピアスは関係ありません。さっさと朝食を食べなさい。
エルスィー じゃあ、カットは駄目? このままよりはましだけど。
(この台詞は無視される。)
坂口 まあこれを読んでる人は何言ってんだかわかんないから、ちょっと説明すると、最初は朝食のシーンでお母さんが娘に小言を言ったりしてます。
植本 娘は髪型をアップにしたいと。
坂口 他の子はみんなしているとか言ってね。
植本 学校でね、そうすると母親にまだ早いとたしなめられ、で、おばあちゃんはおばあちゃんでね。
坂口 寝室の近くでの騒音がうるさいと。
植本 お金を家に入れてるから、私には文句を言う権利があるってね。
坂口 まあ言ってみれば個々の案件はともかく、よくある話です。
植本 そうね。日常の生活に関してとかね。
坂口 このお母さんの飯食う態度も新聞見ながらで、すごく良くないです。
植本 (笑)。
坂口 まあ見てる側としてはそんなに飽きないかな。それなりに身近な話題だし、やる人がやれば。
植本 そう、そう、腕のある人がやれば。
坂口 面白いやり取りになるかなって思っていると、お父さんが現れます。
植本 お父さん、前半は存在感がないです。
坂口 ほとんど喋らないし。そこがミソなんですけどね。
植本 旦那さんに対して奥さんが、ゆうべはどこに行ってたの?ぐらいで終わります。
坂口 お父さんは微妙ですね。
植本 近所の赤ん坊が泣いていたりとか、いい効果を上げてるんだと思うんですよね。
坂口 また後の場面でも、すごい近所を気にします。この人達の暮らしぶりがさりげなくアピールされます。
植本 世間体ですね。
*
坂口 ま、前半は、何があるのかなっていうニュアンスで終わりますが。お母さんは35歳ぐらいで昔はかわいらしかったというところで微妙。
植本 口がへの字になりって。
坂口 思い当たる方がいっぱいいらっしゃるかな。
植本 (笑)。どうなんでしょうね。まあ、外面とね、内側は違いますからね。外ではニコニコしてるのかもしれないですけどね。
坂口 お父さんはまあ、仏頂面というか、仏頂面ですらない。
植本 存在を自分でも消してるんでしょう。
坂口 ずっと不満が溜まっている。
植本 このシーンではまだよくはわかんないけどね。
坂口 だから、この場はお母さんが頑張るっていう。
植本 芝居上で?
坂口 うん、存在として難しいよね。可愛いっきゃダメなわけでしょ。だからといってただギスギスしていればよいわけでもない。
植本 そうねえ、お母さん、肝ですね。
*
坂口 2場の芝居ですね。
植本 そうです。朝8時半と夜7時半です。
坂口 で、当日の夜のシーンです。
植本 女3人は映画に行こうとしてるのかな。
坂口 出かける用意をしていると夫が帰ってきてます。
植本 はい。
坂口 まあ、少しお酒を飲んできたらしくいつもよりちょっと遅い。
植本 奥さんがご飯ならそこにできてる,みたいなことを言ったりしてね。
第二場 (ト書き)
午後七時半頃。エルスィーがピアノの稽古をしている。ミスィズ・ロケットとドリスはよそ行きの服装。テーブルの端に布があり、その上にパン、ハムの皿、二個のトマトがのっている皿、エーワン・ソースの瓶、紅茶のポット、砂糖壷、牛乳入れがのっている。ヘンリー登場。レインコートを脱ぐ。部屋の様子を眺め、再び玄関ホールへ行き、レインコート等をかけに行く。エルスィー、ピアノを止め、ドリスのところに行く。(本文)
エルスィー 私達、もう行くの?
ドリス もう少しよ。
エルスィー ミッキー・マウスに遅れちゃうわ。
ドリス 帽子を被りなさい。心配しなくていいの。
エルスィー(サイドボードから、自分の帽子を取って来て。)うん、分った。(ト書き)
ヘンリー、再び登場。(本文)
ドリス 夕食は用意出来ているわ。お湯がいる時は薬罐(やかん)がガスストーブにかかっているから。私達はもうすませました。
ヘンリー すませた?
ドリス そんな。虐(いじ)められたような顔をしなくてもいいでしょう?
ヘンリー そうか。
ドリス あなた、もう少し早く帰って来られたら、随分手間が省けるのに・・・
ヘンリー(愛想よく。)ああ、ご免、ご免。
ドリス ご免ご免と言っていればすむのね、あなたは。この二、三週間、あなた、どんどん遅くなって来ているわ。そんなに毎日残業があるって、どういうことかしら。
ヘンリー 分ったよドリス、連中に言っとくよ。
坂口 あれおかしいよね。「冷たいハムか」みたな不満を言うと、これは新しいハムだって。
植本 やっぱ、あの、これ読んで思ったのは、あ、食べ物の恨みって大きいんだなって。
坂口 彼は今日ちょっとお酒を飲んでます。
植本 めったに飲まない人なんだろうね。なぜか旦那さんはここに来て急にキレます。
坂口 そうですね。これまでずっと我慢してた。
植本 ね。
坂口 僕はこういう話は好きです。
*
植本 うーん、時代的にやっぱりどうなのかなと思って。 家でご飯作るのが当たり前みたいな感じの話じゃない。今の時代、お客さんが見たときどうなんだろうなって思った。
坂口 そういうことが理解できる人が観る?
植本 そうだよね。
坂口 ただね、この話の中にある情感っていうか、根本的に相手に対する不満っていうのは、全然現実的だと思いますけどね。
植本 この旦那さんの不満はご飯のこともあるんだけど、彼女と付き合い始めるところから始まっていますからね。自分はハメられたみたいな。
坂口 で、お酒飲んで帰ってきて、出かけようと思っている3人に対して出かけるなと。 話があるんだと言って、そこから大騒動になりますね。
植本 そうそう。 その元々の原因がね、なんか二人が出会って、その頃は奥さんもまあ可愛かったから、多少ね、惚れたんだろうけど、奥さんの方が積極的っていうか、あらかじめ仕組まれていたんじゃないかと彼は疑っていて。
坂口 それにおばあちゃんも絡んでたんじゃないかと。だから彼にとってこのシチュエーションへの流れはちゃんと一環してるんですね。
植本 当時、奥さんの弟も妹も婚約者がいて、自分だけ「行き遅れ」が、世間的に恥ずかしいので、早く相手を見つけたいっていうがために、自分は選ばれたと。
坂口 そうですね。 まあまあ、この家族はとにかく世間体が大切だっていうことなんでしょうね。彼はずっとずーっと思っていた怒りのネタが彼女たちの日頃の態度と長い年月で増殖され、ここで爆発したと。
植本 でまあ、家を出るって言うんですけど、当然ね、今まで旦那さんを軽くあしらっていた奥さんも、いや考え直して、もし私のことが好きじゃないとしても、娘がいるじゃない。 娘に対してそんなことしないでみたいなこと言うんだけど、旦那さんね、いや別にそんなに娘好きじゃないみたいな感じで。
(本文)
ヘンリー 私に命令するのは止めるんだな。私に横柄に構えたり、息まいたり、何の権利があってお前にそんなことが出来るんだ。何の権利もありはしない。ここの家賃を払っているのはこの私だ。お前達のために働き、お前達を養っているんだ。そのお返しにお前は何をしてくれた。知りたいものだね。何もないじゃないか。朝食のためにテーブルにつく。するとお前は、母親と啀(いが)み合いだ。いつも機嫌が悪くて「おはよう」一つ言ったことがない。一日中私は働いて、疲れて帰って来る。それで私に、お前の手で料理したものを出したことが何回ある。いつも出来あいのただ買って来たハムだのソーセージだの。今日だって、見ろ! ハムだ! こんなもの毎日亭主に食わせるものだと思っているのか!(ドリスの足下にハムの皿を投げ付ける。)それにトマト! 出来あいのエーワン・ソース!(トマトもソースも投げる。)
ドリス(金切り声を上げる。)ヘンリー! 絨毯が!
ヘンリー(バターの入っている皿を下向きに絨毯に投げて。)何が絨毯だ。こんなもの、これで丁度いいんだ!
ドリス ああ私、こんな目にあうなんて。自分の夫にこんな目に合わされるなんて。自分の結婚した男がこんな男だったなんて!
ヘンリー 取り乱すのはまだ早過ぎるぞ。今からそう自制心をなくしていたんじゃ大変だ。これからまだ、沢山私の台詞を聞いて貰わなきゃならない。その時にはもっと自制心が必要だからね。
ドリス 何よ。偉そうに!
ヘンリー 坐れ! みんな坐るんだ。一度ぐらい映画を見損なっても仕方がない。
ドリス エルスィー、来なさい。
ミスィズ・ロケット そう。二人とも行きなさい。
(ドリス、扉の方に進む。が、ヘンリーの方は素早い。ヘンリー、扉に鍵をかけ、鍵をポケットにしまう。)
ヘンリー これからやる場面は、もう昔からやりたくてうずうずしていたんだ。そこからお前を逃げ出させるようなヘマをやって、その大事な場面を台なしにしたくはないのでね。
ドリス(涙が出そうになる。)出して、この部屋から。
ヘンリー 言うことが終るまでは出させはしない。
坂口 ここからはヘンリーのしたい放題です。
*
坂口 この役はやりたい人がいっぱいいそうですね。
植本 自分よりも先輩方だったら、いくらでも思いつくんだけどね。
坂口 なんで自分より先輩しか思いつかんの。
植本 自分より若い役者さんになると、なかなか。
坂口 そうね。若い人が下手にやると強すぎるっていうか、その人を嫌いになっちゃいそう。
植本 そうそう、暴力的な部分がね、立ってきちゃったりとか。
坂口 これが暴力的なシーンだっていう風に思わせたらこのお芝居は失敗なので。
植本 だから旦那さん役の人はコメディーセンスのある人じゃないとダメなんですよね。
坂口 なるほど。
植本 バランスですね。前半をどう演じるかによって、この場面がうまく成立するっていうか。旦那さんがキレても、お客さんが、あ、それはキレるよねって納得できるかどうか。
坂口 ですよね。 結構荒っぽい筋だから、やっぱ役者さんの存在感が問われるみたいな感じにはなってる。それはそれで面白い。
*
植本 で、これあれです、あの、旦那さんがお金を貯めてるっていうのが。
坂口 あ、そうだよね。
植本 はい、そうなんです。あの、多分給料か何かを家庭に入れてるんですけど、そこからちょっとだけピンハネっていうか、自分の分を少し取って、毎月コツコツと貯めていた。
坂口 執念だよね。
植本 だから比例してるんでしょ。そのお金が貯まっていくのと、鬱憤が溜まっていくのが。
坂口 そこら辺のニュアンスをちゃんと乱暴じゃなくて見せられるお芝居だといいですね。
植本 丁寧に積み上げていかないとですよね、こういう話は。
坂口 ただのいがみ合いみたいになっちゃうと、後気味がすごく悪い、観客は嫌な気持ちで帰らなきゃなんないと思うんですけどね。 ただ僕は旦那さんが開き直って、怒鳴りつけて出て行っちゃうっていうところが面白い。
植本 旦那さんがキレまくってるところで、喋ってない人たちのリアクション芝居がいいとすごい面白いんだろうなって思って。
*
坂口 彼は、やっぱり基本的には皮肉屋?
植本 うん?
坂口 ノエル・カワードっていう人。
植本 ご本人的には重苦しい芝居が嫌いとか言ってます。
坂口 彼の作品は映画とかにもなっていて、とんでもない人なんでしょう?
植本 当時のファッションリーダーって書いてあった。タートルネックとか、あと首にスカーフを巻くっていうのを始めた人って。
坂口 おもしろいね。
植本 うん。で、あの 007 の一番最初の主演にショーン・コネリーが決まった時に、ファッションのことでノエル・カワードに相談に行ったっていうぐらい影響力のある人だったみたい。
坂口 あー。 面白い人だよね。
*
植本 それこそ岸田国士とかね。夫婦のやりとりとか。
坂口 そのハード版というか、僕も思い出しました。家族の描き方っていうか、視線?がなかなか皮肉を含んでいて。でもこれはなんか、劇的っていうか。
植本 うん。あとは細かくやればやるほどいいんだろうなって思います。
坂口 上手な人で観たいですね。
植本 (笑)。
坂口 以下、結末です。
(前略)
(本文)
ドリス ヘンリー、ヘンリー、行っちゃ駄目。行っちゃ・・・
ヘンリー(振りほどこうとして。)そこを放せ。
ドリス お母さん、お母さん、手を貸して。行かせないで。(ト書き)
ヘンリー、ドリスを振りほどき、両肩に手をかけて、無理矢理椅子に坐らせる。それから扉の鍵を回し、扉を開ける。(本文)
ヘンリー 君の顔をよーく見ておくことにする、ドリー。もう一生その顔を見ることはないだろうからな。
ドリス お母さん! ああ、神様・・・神様。(ト書き)
ドリス、両腕に顔を埋めて激しく泣く。エルスィーも駆けより、同じように泣き叫ぶ。ミスィズ・ロケット、椅子に坐ったまま、人を殺さんばかりの目をしてヘンリーを睨みつける。(本文)
ヘンリー(静かに。)女三代か。祖母、母、娘。同じ骨、同じ筋に筋肉、それに同じリンパ腺。何百万のこれと同じ造りの女がいるんだ。何百万とね。お母さん、あんたはもう、この馬鹿騒ぎの中心人物じゃない。一歩下った過去の人。ミュージック・ホールの笑いのネタ。小金をため込んでいる義理の母親だ。ドリー、君にはまだチャンスがある。あと二、三年が勝負どころだ。君にガッツがあるなら、これが見せ場だ。僕のこの行動が、長い目で見た時、君の腐った魂を救うかも知れない。それならなかなか良いことだ。しかしまあ、無理だろう。その魂は腐り過ぎだ。生まれつきのずるで、見栄っぱりで、弱いもの虐(いじ)めなんだ。顔を見るのもうんざりだ。いい機会だ。ついでに言うが、その腕輪、僕は大嫌いだ。もう昔からだ。最後にエルスィー。お前にはほんの微かだが脈がある。但しほんの少ししかないぞ。よく聞くんだ。お前が働いて独立したら、「見返りを要求せずに与えること」を学ぶんだ。いいか、一生見返りがないことが分っていて、与えることだ。そうすれば、何とかちゃんとした人間らしくなるチャンスもある。それからもう一つ。この残酷な、恩知らずの父親の忠告をもし聞いてくれるなら、もう一つ忠告がある。働いて最初に稼いだ金で、そのお前の扁桃腺を切って貰うんだ。じゃ、これで最後。さよなら。君達に会えて良かったよ。(ト書き)
ドリスとエルスィーの泣き声、ヘンリーの退場と共に大きくなる。ヘンリー、後ろ手に扉を閉める。その大きな音。
ー幕ー
※(ト書き)・(本文)は「『大脱出』ノエル・カワード作 能美武功訳」より引用(一部編集部にて改訂)。
プロフィール

植本純米
うえもとじゅんまい○岩手県出身。89年「花組芝居」に入座。2023年の退座まで、女形を中心に老若男女を問わない幅広い役柄をつとめる。外部出演も多く、ミュージカル、シェイクスピア劇、和物など多彩に活躍。09年、同期入座の4人でユニット四獣(スーショウ)を結成、作・演出のわかぎゑふと共に公演を重ねている。
坂口真人(文責)
さかぐちまさと○84年に雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。以降ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。16年9月に雑誌名を「えんぶ」と改題。09年にウェブサイト「演劇キック」をたちあげる。





