「新春浅草歌舞伎」記者会見レポート! 

由緒ある芝居町・浅草のお正月の風物詩「新春浅草歌舞伎」が2025年も開幕!
若手の登竜門となる公演として歌舞伎ファンにお馴染みであるとともに、地元浅草の人々に町をあげて長らく愛され、そして歌舞伎初心者にとっても肩ひじ張らず足を運べる公演としても知られている新春浅草歌舞伎。2025年の公演は、1月2日に初日の幕を開けることが決まった(26日まで)。2024年に引き続きの出演となる中村橋之助、中村莟玉の2人をはじめ、中村鷹之資、中村玉太郎、市川染五郎、尾上左近らが初参加組で、中村鶴松は6年ぶりの参加となる。橋之助、鷹之資、鶴松はそれぞれの自主公演でも浅草公会堂の舞台に立っており、縁のある浅草の街で注目公演への出演となる。清新なメンバーのなかで、ベテランの中村歌女之丞が脇役として公演を支える。

演目は、第1部と第2部に共通するのが、本能寺の変をモチーフにした義太夫狂言の名作『絵本太功記』尼ヶ崎閑居の場(通称『太十(たいじゅう)』)。『太十』は時代物の典型的な役柄が勢揃いする、歌舞伎にとって教科書のような作品だ。昼夜の役替わりで(以下、第1部・第2部の順)、武智光秀は市川染五郎・中村橋之助、武智十次郎(光秀の息子)は中村鷹之資・中村鶴松、初菊(十次郎の許嫁)は中村玉太郎・尾上左近、皐月(光秀の母)は中村歌女之丞(昼夜同じ)、佐藤正清(加藤清正がモデル)は尾上左近・中村鷹之資、操(光秀の妻)は中村鶴松・中村莟玉、真柴久吉(豊臣秀吉がモデル)は中村莟玉・市川染五郎と、いずれそれぞれが手掛けていくであろう役柄を勉強できる、絶好のチャンスだ。

この『太十』を核に、第1部では『忠臣蔵』から『道行旅路の花聟(はなむこ) 落人』、第2部では『春調娘七種』『棒しばり』と、どちらも舞踊の名作を合わせて楽しめる構成。もちろん、新春浅草歌舞伎名物の「お年玉〈年始ご挨拶〉」も予定されている。

11月中旬、その記者会見が都内で行われた。会見には、中村橋之助、中村鷹之資、中村莟玉、中村玉太郎、市川染五郎、尾上左近、中村鶴松と、山根成之松竹株式会社取締役副社長が出席した。それぞれからの挨拶の後、質疑応答が行われた。

【挨拶


中村橋之助 このたび、私・橋之助、鷹之資、莟玉、玉太郎、染五郎、左近、鶴松の7人で、令和7年の新春浅草歌舞伎をひと月開けさせていただくことになりました。私事ですが、座頭という立場を初めて勤めさせていただきます。僕1人が座頭ではなく、ここにいる7人が全員座頭で、全員が熱く熱く同じ方向を向いて舞台を勤められる公演、そしてそれがお客様に届き、明日の活力となれるようなパワーあふれる公演にしたい。今日持ってきたものがありまして…バトンなんです(と取り出す)。これは(尾上)松也兄さんの前の世代から、松也兄さんたちの代に渡されて、今年の新春浅草歌舞伎の千秋楽に、(中村)米吉のお兄さんから僕と莟玉君に託されたバトンです。これをもっと大きい重いバトンにできるよう、僕たちの代も一生懸命に勤めたい。まだまだ勉強中の我々ですが「来年の新春浅草歌舞伎を楽しみに」と言えるよう、一生懸命稽古をしてまいります。

中村鷹之資 初めて新春浅草歌舞伎に参加させていただきます。今まで先輩たちがなさってきた姿を見て、いつか私も勉強させていただきたいとずっと思っておりました。こうやって新たな世代のメンバーとして加えさせていただき、本当に嬉しい。先輩方がずっとリレーを繋いできた魂を、またこの新たな代で受け継ぎ、そして浅草歌舞伎は何といっても浅草の皆様が育てくださっている特別な公演ですので、新しい世代も浅草の皆様に愛していただけるよう、我々が一丸となって継承し、次世代に繋いでいけるよう切磋琢磨して一生懸命に勤めてまいりたいと思います。

中村莟玉 私が新春浅草歌舞伎に初めて出させていただいたのは2013年。当時高校1年生で、学ランを着て、学校を早退して、若い世代の先輩たちと一緒に舞台に立たせていただけることは非常に嬉しく、毎日楽しく劇場に通っておりました。そこからあっという間に来年で12年経ちます。浅草公会堂での新春浅草歌舞伎への出演はもう10回目。先ほど橋之助の兄と話していましたが、松也兄さんはじめ、先輩たちがいるのが当たり前の感じでずっと過ごしてきましたので、この前列にいる感じが「いよいよ自分たちの番が来たんだな」というわくわくも、まだちょっと不安もあります。私も橋之助さんも上級生1年目で、新しく入ってきてくれた皆さんにも「まだわからないところもあるんだな」と思われてしまうかもしれませんが、浅草公会堂はすごく楽屋が楽しい。みんなでひと月過ごすことで、舞台はもちろん一生懸命やるし、楽屋では楽しく過ごすというメリハリが、これまで先輩たちが作ってきてくれたチームワークに繋がっていると思いますので、その感じは何とか引き継いで頑張りたい。もちろん新しい世代として、お客様に楽しんでいただく企画は考えていきますが、「早く浅草に出たい」と思っていたみんなが今回参加しているので、一致団結して、いい感じでまたこのバトンを繋いでいけるように頑張りたいと思います。

中村玉太郎 私も新春浅草歌舞伎は初めてで、小さい時から何度もお客さんとして拝見しております。「いつか私も出るのかな」とぼんやりと考えていましたが、ついに出させていただけることになり、本当にありがたく、浅草の人たちとも個人的に関わりがあるので、その方たちにも楽しんでいただけるように一生懸命やります。来ていただいたお客様に「観てよかった。また観たいな」と思ってもらえるよう、歌舞伎を初めて観る方には「歌舞伎っていいな。他の劇場を観てみよう」と思っていただけるよう、未熟ですが、一生懸命努めます。

市川染五郎 若手の登竜門とも言われる公演ですので、いつかはと私も思っておりました。今回出させていただけてとても嬉しく、ありがたく思っております。もちろん皆さんそうですが、お役も本当に大役に挑戦させていただけるので、先輩方の背中を追いながらみんなで一致団結して、若さを大事に、若さを武器に、自分たちの精一杯を見せられるよう、精一杯勤めさせていただきます。

尾上左近 今お兄さま方が仰った繰り返しになりますが、若手にとって憧れである新春浅草歌舞伎に立たせていただけることは、本当にありがたいことで、責任を持ってしっかり舞台を勤めたい。もちろんお客様に楽しんでいただく、晴れ晴れした気持ちになっていただくのはもちろん、ゆくゆくは、今後の後輩たちにこの浅草歌舞伎を憧れと思っていただけるような舞台を勤めたいと思います。

中村鶴松 数年前に浅草歌舞伎に出演させていただいて以来、しばらく出ておらず、もう出ることはないのかなと正直思っていましたが、今回メンバーが変わり、その一員に再び入れて、本当に嬉しく思います。浅草は、6歳で平成中村座に出てからずっと本当にお世話になっている土地。演目も大変な役ばかりです。(中村)勘九郎と七之助の兄も「死ぬ気でやってこい」と言ってくれたので、舞台で命をかけて勤めたい。

【質疑応答】
──改めて、新春浅草歌舞伎の出演が決まったと聞いて最初に何を思いましたか?

橋之助 これは莟玉君と僕の共通認識だと思いますが「バトンをもらって、来年出てなかったらどうしよう」という恐ろしさがありました。まずお話をいただいて、ほっとしたよりも、「来た!」とプレッシャーを受けながら、「僕たちの代になっても、新春浅草歌舞伎で一旗揚げてやるぞ」と、前に進む力を強く感じました。メンバーも演目も決まってくると、それがだんだん実感に変わり、この記者会見を迎えて、不安はありますが、それさえも楽しみな気持ちに変えていきたい。

鷹之資 私自身もずっと出たい公演で、浅草の方からも「来られたらいいね」と言っていただいていて、まずは本当に嬉しかったです。同時に、この世代のメンバーでガッツリ組んで芝居をするのは本当に初めての機会ですし、その時はまだ演目も決まっていなかったので、どうなっていくんだろうという期待でいっぱいでした。今こうやって演目も決まって、それに向けて稽古していく段階になり、皆それぞれ大役を勉強させて挑戦させていただきますので、それに関しては先輩に教わったことをまずきちっとできるように、そして、観てくださったお客様に楽しんでいただけるように、これから稽古に励みたい。

莟玉 今年の1月も歌舞伎味あふれる作品が並んでいて、千秋楽に特別なカーテンコールをして、そこで僕らも挨拶して、このバトンをいただいた。すごく感動的なムードで、最後の花道を卒業されるお兄さんたちが歩いていく背中を見て、本当にそれまで一緒に過ごした10年をジーンとしながら振り返りました。歌舞伎の中でも、花形歌舞伎の数が限られていて、僕たちの世代にとっては大きなチャンスをつかむ場という認識です。お兄さんたちが和気あいあいと楽しくお役を勉強する姿を僕たちに見せてくれましたが、やっぱりこれは相当プレッシャーや、自分たちの代で次に繋がらなくなってしまったらどうしようという焦りをきっと持ってらっしゃったんだろうなと、今最前列に立って改めて思います。自分の名前が配役の最初に来ることも本当に初めて近く、浅草歌舞伎への出演回数が多くても、このプレッシャーをちゃんと感じないと、まだ浅草に挑戦したことにはならないのかなと、お役をいただいた時に思いました。

玉太郎 率直に申しますと、最初にお話をいただいた時は「ついに来たな」と思いましたが、よくよく考えると「浅草歌舞伎に出るの?」と、後からプレッシャーみたいなものがやってきました。今まで出ていた歌舞伎公演は、2回りも3回りも上の先輩方が座頭で、私たち後輩は引っ張っていただく立場でしたが、今回はやっぱり年の近い皆さんと(共演)という新しい環境なので、その中でどうやっていくのか、わくわくもありつつ、不安もあります。年上だと1個上が鷹之資さん、下が染五郎君というパワーのある2人なので、潰れないかなという心配もありつつ、本当に楽しみです。

染五郎 「いつかは浅草に」という思いはありましたので、とても嬉しく思いますが、ここ数年は、毎年1月は歌舞伎座で祖父(松本白鸚)と父(松本幸四郎)と三代揃って舞台に出させていただくことが続いていて、祖父の年齢的にも、やっぱりなるべく祖父と一緒の舞台にという思いがあり、そこから離れるということにおいて、自分のなかでは正直、即決できませんでした。でもこうして若手のお兄さん方(の座組)に入らせていただくことも今まであまりなく、どちらも貴重な機会ですが、やっぱり新しいところに飛び込んでみようという思いで、今回出させていただきます。『太十』の光秀は祖父に教わることになり、祖父から教えを受けるという意味でもすごく楽しみですし、本当にいい機会をいただき、本当に楽しみな気持ちでいっぱいです。

左近 私自身、同世代の人と芝居をする機会が昔からなかなかなくて、例年は国立劇場で菊五郎のお兄さんのもとで、菊五郎劇団としてお芝居をしておりました。そのお兄さんの元から離れて、この浅草の舞台に立つということは、菊五郎劇団の人間として恥じない舞台をしなければならないということです。そこに関しては、劇団の名を汚さないようというプレッシャーはあります。ただ、今までお世話になった劇団の皆さんへの恩返し、そのために自分が成長しなければならないという気持ちで、この憧れの舞台を勤めたい。

鶴松 配役などは勘九郎、七之助の兄から直接聞きました。巡業の町田公演で、昼夜の間に散歩して帰ってきたら「早く来いよ! 大変だよ! あなた、浅草で『太功記』で十次郎をやらせてもらうんだよ」と。僕より喜んで、2人から叱咤激励されたのを覚えております。先輩・後輩・同輩、こんな素敵な仲間たちの中で、これだけの大役を勉強させていただけるのはなかなかないことで、苦労も大変な思いもたくさんするでしょうが、恥をかけるだけかいて、今後に繋げていけるような芝居を全力で作りたい。

――染五郎さん、お父様とお祖父様からは、出演にあたり何か言われましたか?

染五郎 祖父には、浅草ということはまだあまり話していませんが、『太十』の光秀に関しては、ここまで大きな役を祖父から教えていただくこともあまりなかったので、こちらも楽しみですし、祖父も少し張り切っているようで、そこはすごく嬉しい。父は俳優祭で1日しかやったことがない役なので、「先を越されちゃった」とちょっと悔しそうでしたが(場内笑い)、父も張り切って教えてくれるようなので、すごく楽しみです。

――それぞれ光秀役についての思いを改めて伺えますか?

橋之助 『太功記 十段目』の光秀は、父(中村芝翫)も何度も勤めているお役で、十次郎より先に光秀をやるとは思っていませんでした。父そして成駒屋一門、さらには歌舞伎界の戦力になれるようにという思いで普段勉強しているので、『太功記 十段目』を観ている時は、今までは父の光秀で十次郎ができるよう、光秀を見ながらも十次郎に目が行くことが多かった。でも今回光秀の役をいただき、父からは「こういうお役を若い時にやるのはすごく難しいと思うかもしれないが、若い時に体当たりでやることで見えてくる景色がいっぱいある。お父さんはそういう機会がなかった」と。父は十二代目の(市川)團十郎のおじさまが休演された時の代役が初役で、当時は多分40歳ぐらい(会見では40半ばと仰っていましたが、調べたら40歳でしたので変えています)ぐらい。僕は20代で経験させていただけます。「大役に体当たりでぶつかるしかないという感情を知った上で、40代50代になって、その時の感情を表現できる技量を持って挑める。こういう機会をいただけるのは、お父さんはすごく羨ましい」と言ってもらいました。『太功記 十段目』は家族の話が軸になる作品ですから、僕自身ができる光秀像に体当たりで挑んでいきたい。染五郎君もそうだと思いますが、こういった真ん中が似合う、どしっとした立役を目指しているので、光秀のお役は必ず通っていかなくてはならないし、通っていきたいお役です。

染五郎 やっぱり『太十』の光秀というと、曾祖父(初代白鸚)の俳優祭の映像がすごく印象にあり、そこを目指したい。また播磨屋のおじさま(二代目中村吉右衛門)が何度もやられている印象で、最後に歌舞伎座でなさった時に二階席の一番後ろで拝見しましたが、最初は笠で顔を隠して、笠を下ろして顔を見せた瞬間に、比喩的な表現ではなくリアルに鳥肌が立ちました。それをこんなに早くやらせていただくことになるとは思っていませんでしたので、嬉しくありがたく思いますし、父、祖父、曾祖父、そして高祖父(七代目幸四郎)、また播磨屋の高祖父(初代吉右衛門)と、本当に代々やってきたお役ですので、それを繋いでいけるように、ゆくゆくは回数を重ねたいと思っている役の一つです。まずは祖父にきっちりと教わり、その通り勤めることを目指したい。

――橋之助さんに伺います。先輩から(新春浅草歌舞伎を)引き継ぎ今回初めての座頭ということで、どのようなリーダーにしたいか、また勉強の場ということでは、浅草と自主公演(神谷町小歌舞伎)にどういう違いがありますか?

橋之助 リーダーに関しては、松也兄さんは1つ前のメンバーでも少し年上でしたし、もちろん巳之助のお兄さん、歌昇のお兄さんもいらっしゃって、松也兄さんについていくという色が強かった。その前は勘九郎兄や(中村)獅童兄、七之助の兄や(市川)猿之助のお兄さんと、いろんな方が入って、浅草歌舞伎は必ずリーダーがいなきゃいけないわけでもないと僕は思っています。でも今回、28歳で座頭をさせてもらった自分にも自信を持つ必要もあるなと、これはお役にも出ることなので思いました。どう進めていきたいかは、僕は性格がザ・長男なので「こっちについておいで~」とやるのは得意なんです。だから、みんなが不満を持っていなければ(笑)先頭していきたいですが、大事にしているのはみんなの総意。もちろん最初は違ったとしても、説明して納得してくれた状態でやりたい。このポスターも、取材やお年玉挨拶なども、最終的な判断は僕かもしれませんが、みんなと共にという思いはとても大事にしています。神谷町小歌舞伎などは、僕がこれはいいと思ったもの、お客様にお届けしたいと思ったことを、弟たちに話している公演なので、そこがちょっと違うかな。もちろん勉強という立場ですが、新春浅草歌舞伎はやはり本興行の中で、プロの歌舞伎役者としてお客様方からお金をいただき、しっかり浅草の町に認めていただける、歌舞伎好きのファンの方に認めていただける公演にしなくてはなりません。自主公演は、責任がないわけではなく、どちらかというと当たって砕けられる公演。もちろん新春浅草歌舞伎も砕けていくつもりで体当たりしますが、よりみんなの思いを反映させて、それがお客様に届くような心意気を持って勤めなくてはと思います。

【公演情報】
浅草公会堂「松竹創業百三十周年 新春浅草歌舞伎」
日程:2025年1月2日(木)~26日(日)
※19日(日)第2部は「着物で歌舞伎」の日
出演:中村橋之助、中村鷹之資、中村莟玉、中村玉太郎、市川染五郎、尾上左近、中村鶴松、中村歌女之丞ほか
演目:
◎第1部 午前11時~
お年玉〈年始ご挨拶〉

一、『絵本太功記』
尼ヶ崎閑居の場

武智光秀 市川染五郎
武智十次郎 中村鷹之資
初菊 中村玉太郎
皐月 中村歌女之丞
佐藤正清 尾上左近
操 中村鶴松
真柴久吉 中村莟玉

二、仮名手本忠臣蔵『道行旅路の花聟(はなむこ)』
落人

腰元おかる 中村莟玉
鷺坂伴内 中村玉太郎
早野勘平 中村橋之助

◎第2部 午後3時~
お年玉〈年始ご挨拶〉

一、『春調娘七種』

曽我五郎 尾上左近
静御前 中村鶴松
曽我十郎 中村玉太郎

二、『絵本太功記』
尼ヶ崎閑居の場

武智光秀 中村橋之助
武智十次郎 中村鶴松
初菊 尾上左近
皐月 中村歌女之丞
佐藤正清 中村鷹之資
操 中村莟玉
真柴久吉 市川染五郎

岡村柿紅作
三、『棒しばり』

次郎冠者 中村鷹之資
太郎冠者 市川染五郎
曽根松兵衛 中村橋之助

〈公演サイト〉https://www.kabuki-bito.jp/theaters/other/play/915
 
【取材・文/内河 文 写真提供/松竹】

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