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尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露 取材会レポート


同じ名跡の先代と当代がひとつの舞台で揃い踏みする。今生きて歌舞伎を観ている人のなかで、この衝撃を味わったことがある人はあまりいないだろう。

歌舞伎で襲名といえば、ほとんどの場合、先代が亡くなる、または引退したり別の名跡を名乗るなどして、その時点で名乗る俳優がいなくなった名前を次代の俳優が継承するというものだ。だが今回は、当代菊五郎は引き続き菊五郎を名乗ったまま、尾上菊之助が八代目菊五郎を、菊之助の子息・尾上丑之助が六代目菊之助を襲名する。歌舞伎座の「團菊祭五月大歌舞伎」「六月大歌舞伎」を皮切りに「尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露(尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露狂言)」が幕を開けるが、そういう意味ではこの興行は、名跡(家)の継承、一俳優の成長にとどまらない、前代未聞のインパクトを持っている。


襲名披露演目は、「團菊祭五月大歌舞伎」では、菊之助の祖父・七代目尾上梅幸と父・現・七代目菊五郎とともに三人で踊ったこともあり、思い出深い『京鹿子娘道成寺』や音羽屋屈指の当り役『弁天娘女男白浪』。また「六月大歌舞伎」では、歌舞伎の三大名作のひとつ『菅原伝授手習鑑』から「車引」「寺子屋」、そして菊之助・丑之助親子が二代目中村吉右衛門(菊之助にとって義理の父、丑之助には祖父)の追善でも一度勤めている『連獅子』となっている。このほかにも調整中の演目があるとのことで、最終的なラインナップや出演者の知らせを待ちたい。さらに3月31日には、江戸の総鎮守・神田明神で成功祈願のお練りが予定されている。世話物を得意とする音羽屋にぴったりの場所で、門出の賑やかな前祝いとなることだろう。

2月中旬、この襲名興行の取材会が都内で行われた。取材会場には、菊之助と丑之助がそれぞれ襲名披露演目の拵え姿で撮影したスチールのパネルが並べられていた。それを背景に菊之助が挨拶、そのあと質疑応答に答えた。


【尾上菊之助挨拶】
5月6月の襲名演目の写真を発表することができました。今日は皆様にご報告がございます。最初は、襲名演目を『(京鹿子娘)二人道成寺』とさせていただきましたが、坂東玉三郎のお兄さんがお入りくださり、これを『京鹿子娘道成寺』花子三人にて相勤め申し候、とさせていただきます。
同時に、5月は「團菊祭」です。襲名では異例ですが、襲名演目の前に(市川)團十郎さんと『勧進帳』をさせていただきたい。團十郎さんの弁慶で私が富樫をさせていただきたいと常々申してきました。歴史的な側面から言えば、初代菊五郎は二代目團十郎さんに見出されて江戸に出てきました。去年、初代と二代目が入っている京都のお墓と大阪のお墓の一部を修復できるという縁に当たりました。これは初代から現在の七代目までの全ての菊五郎への尊敬、それから(歴代が)やられてきた事実を全て受け入れて、八代目を襲名させていただきたいと思っておりました。團十郎家と尾上(菊五郎)家は、五代目では團菊と並び称され、現代でも十二代目團十郎のおじ様と父が團菊祭を守ってきてくれました。八代目を襲名した折にはぜひ團十郎さんと舞台に立たせていただき、菊五郎のスタートを切りたいという思いで、團十郎さんにもお願いしています。


【質疑応答】

──菊五郎の歴史を全て背負ってというお話でしたが、日程が近づいてきてどういう心持ちか、どういう重みを感じていますか?

菊之助襲名の時もそうでしたが、古典演目を大切にしつつ、復活狂言、新作歌舞伎という三本柱に加えて、菊五郎になったあかつきには、新古演劇十種の復活、それから先ほど二代目團十郎さんに初代菊五郎が見出されて江戸に出てこれたと申しましたが、門閥の方、幹部の方と芝居を築き上げていくのはもちろんこれからもしていきますが、やはり(中村)芝のぶさんや、『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』『ファイナルファンタジーX』でご一緒させていただいた皆様方など、研鑽、努力、芸に向き合う姿勢も含めて、名題下さん、名題さん、部屋子さん、幹部さん、幅広く門を開いて、皆様と一緒に後進の指導をしつつ、開かれた歌舞伎を目指していきたい。ごめんなさい、先に自分の思いを話してしまいました(笑)。ご質問の菊五郎の歴史を背負うということについては、5月が近づくにつれ、やはり緊張感が増しています。私もですが、丑之助のほうがより緊張感でいっぱいだと思います。土曜日と日曜日は学校が休みなので、1日中ふたりで稽古をしたり、芸に向き合う時間を過ごして、気分転換をしつつ、5月に向けて芸を磨き上げている最中です。

──菊五郎とはどういう役者か。また、菊之助さんが菊五郎になることで何が変わる?

初代もそうでしたが、最初は女方から始まり、江戸に出て立役に変わりました。当時は女方と立役を兼ねるのが難しいと言われていましたが、初代はそれを成し遂げた。三代目は立役、女方、敵役、道化方で、天保期には番付にも幅広い役すべてをこなすと出ておりました。歴代菊五郎が築き上げてきた、立役・女方の両方を研鑽することは私も引き継ぎ、大事にしていきたい。私が菊五郎になって、大きく変えることはありませんが、実力のある方と広くご一緒させていただくのが目指すところです。

──玉三郎さんの出演を聞かれた時のお気持ち、これまで玉三郎さんから教えを受け、改めて襲名演目でご一緒される思いは?

襲名演目に出ていただき、お祝いいただけるのは、本当にありがたいという言葉に尽きます。『道成寺』は、私は祖父(七代目梅幸)と父の『三人道成寺』がとても記憶に残っています。その時はとても手も足も出ず大変な思いをしましたが、祖父や父に見守られながら『道成寺』に向き合えたのは、一つの芸に向き合う姿勢の、第一弾の転換期だった気がしています。『三人道成寺』はなかなか叶わないだろうと思っていましたが、今年は祖父の没後30年という節目ですし、玉三郎のお兄さんが花子でお入りいただいて、祖父もすごく喜んでいるのではないかと思います。『二人道成寺』で玉三郎のお兄さんに教えていただいたことが糧になっていて、1人で『道成寺』をしていても、横にお兄さんがいるつもりで踊ることもあります(笑)。先輩と踊らせていただくのは、もちろん緊張感がありますが、先輩がいることで稽古以上の力が出る時もありますし、その経験が将来丑之助の人生にとって、とても大切な時間になるのではないかと思います。

──丑之助さんに、玉三郎さんから学んでほしいことは?

全てですね。舞台に対する姿勢、作品を捉える考え方、踊り方。『道成寺』とはどういう作品か、私は『二人道成寺』の時にお教えいただいたので、それを丑之助にも伝えますが、やはり一緒に踊ることは何物にも代えられない時間。私も初めて玉三郎のお兄さんと『二人道成寺』をさせていただいた時、1日目は緊張と重圧からか、39℃ぐらい熱が出ました(笑)。それも含め、大先輩と舞台を踏ませていただくことは、歌舞伎役者にとってとても大事なこと。玉三郎のお兄さんも「丑之助にいろいろ話すね」と仰っているので、非常に楽しみな時間だと思います。

──『三人道成寺』は、菊之助さんが芸に向き合う姿勢の転換点だったと仰いましたが、例えばどんなところが?

至らなさを痛感したんですね。稽古を積みに積んで踊りこんできたものの、先輩方の足元にも及ばない自分を『三人道成寺』の時に感じて、このままではいけない、もっともっと芸道に向き合う姿勢をと考えさせられました。父もですが、偉大な先輩方というのは、大変なことをいとも簡単にやるんですよね。若い頃にはとてもつらい修業もあったでしょうが、小さい頃から父が大変なことをいとも簡単にやっているので、自分がどうしたらそういうふうになれるのかと常に思っていました。父は、細かく指導する演目もありますが、直接指導というよりも考えさせる指導方法なんです。父の背中を見て、他の先輩方にお教えをいただいて、とにかく自分で考えるという教育をしてもらったからこそ、自分でも理想像を高く持てたし、偉大な先輩方に近づくためにこれからもっと努力しなければという心を芽生えさせてくれたことが、とても偉大なことだと思います。

──菊之助さんは、丑之助さんにも考えさせる指導をされている?

私は結構、直接指導してしまいます(笑)。細かく指導することが本当にいいことなのかはわかりませんが、型を理解して、毎日違ってもいいから、とにかく心情から出てくるお芝居をしろと常に伝えています。

──歴代は立役と女方を兼ねるというお話でしたが、音羽屋といえば、江戸っ子の粋な雰囲気、風情もあると思います。そこはどう磨いていくか?

世話物の最後の完成は五代目菊五郎が成し遂げたと言われています。五代目そして六代目菊五郎、二代目(尾上)松緑のおじさまから父へ受け継がれた『髪結新三』をさせていただきます。『魚屋宗五郎』、あとは『文七元結』。江戸の庶民が大事にしていた、困っている人がいたら必ず助けるという心意気を残していくのが世話物で、それが現代でも大切なところだと思います。先人たちから芸を受け継ぎ、発展させ広めていくのが襲名だと思いますが、お客様の心に、昔の人が大事にしていた心をお届けするのが古典演目をやる役者の役目です。時代物、世話物、日本人が大切にしていた心を残すべく古典も大切にしていきたい。

──『道成寺』はお祖父様も何度も出られて、大変名舞台でした。お祖父様と共演された思い出、教えを受けて印象に残っていることは?

私が二十代、三十代だったらもっと深いところまで教えていただけたのかなと思いますが、六代目の教えがそうだったのか、よく「はいもう1回」という言葉をかけられました。とにかく繰り返して、型を慣れさせるということだったと思います。型を会得した上で、六代目が大事にしていた、日本舞踊は手先ではなく腹(肚)で踊るということだと思います。私は、腹とニン(仁)と性根は、それぞれ別だと思います。性根はその人が生まれ持って変えられないもの、ニンはその人の置かれた状況や目指すものによって変わるもの、腹はその人の生涯。だから、六代目が残した「腹で踊る」とは、踊りを通して、歌詞を通して、その人の人生が見えてくる踊りを踊れということだと思います。今までもそういう風に研鑽してきましたが、菊五郎になったらよりそれを目指していきたい。

──長く名乗られた「菊之助」の名前ともそろそろお別れ。「菊之助」時代はどういう年月だったか、「菊之助」を受け継ぐ丑之助さんにとって、どういう時代にしてほしいか?

菊之助を襲名した時は18歳で、『弁天(小僧)』と『鏡獅子』を昼夜でさせていただきましたが、とても自分では納得できず、どうしたら先人たちのように舞台に立てるかというところがスタートでした。それからいろいろな先輩方、踊りのお師匠さんから教えを受け、蜷川(幸雄)さんにも会い、新作歌舞伎をやることでまた自分の至らなさを痛感して、とにかく自問自答してきた菊之助でした。これからも自分に厳しくすることは続けていきますが、菊之助は菊五郎になるための修業時代。丑之助は11歳で菊之助を襲名させていただきますが、これからも次の名前に行くための修業期間として、『連獅子』ではないですが、千尋の谷に突き落として這い上がるぐらいの稽古をしつつ、見守っていきたい。芸には終わりがなく、一生かけて磨き上げていくものですから、焦らず、長い目で丑之助を鍛え上げていこうと思います。

──11歳での梅王丸はとても大変だが、それを決められた経緯は? 菊之助さんは15歳で桜丸を(現)松緑さん・團十郎さんとされたが、幼くして古典演目を経験したことで自分が得たものや、それが今回に影響しているか?

稽古はしていただいたものの、やはりそれができない自分に毎日直面して、それを毎日更新して、できるようにするとう稽古でした。15歳の時は本当に手一杯でしたね。丑之助が梅王丸をすると決めた経緯は、岳父・(二代目)吉右衛門がこの『寺子屋』、梅王丸を大切にしていたからです。私がどこまでできるかわかりませんが、播磨屋の父から「教えることは全部教える」との言葉をいただいてから、岳父が大切にしていた演目もさせていただきつつ、それを丑之助に伝えるために、『菅原』も6月の襲名演目に選びました。丑之助も梅王丸は大変だと思います。衣裳も重いし、三本太刀を扱うのも結構大変です。でも彼の心の中には岳父が生きていて、常に岳父に見守られながら舞台に立っています。ご存じの通り、岳父の命日が丑之助の生まれた日と重なっておりますので、音羽屋(の演目)と岳父が大事にした演目ができるのならやっていってほしいという期待も込めて、梅王丸をさせると判断しました。萬太郎さんに稽古をつけていただいています。実際に衣裳も小道具もつけて、体力的にも技術的にも舞台に上がれるように稽古しています。

──ご自身がゆくゆくは歌舞伎界を担う名前を継ぐ家に生まれたという自覚は、どういう風に芽生えていきましたか?

父と祖父の背中を見て育ち、さらに(菊五郎)劇団の皆様、(二代目)松緑おじさん、(十七代目市村)羽左衛門おじさん、温かい皆さんのお神輿の上に乗せていただいて、丑之助として初舞台を踏ませていただきました。それから菊之助へと名前が変わり、今この菊五郎という名前に向き合う自分を作ってくれたのは、本当に先輩方と歌舞伎界の温かい指導、愛情だと思います。私は不器用で、すぐパッとできる人間ではないので、毎月本当に苦労しています。でも先輩方が温かく見守り、優しい言葉や厳しい言葉をかけてくださったからこそ今がある。それを自分も伜や後輩たちに伝えられる役者にこれからもなれればと思います。

──改めて襲名への意気込みと、八代目菊五郎はどんな菊五郎像を目指していくか?

先人たちからの知恵、型を受け継いで、心情をもとにその役になりきるということに尽きると思います。それは歴代の菊五郎が目指してきたことで、例えば(『忠臣蔵』の)おかるも、三代目菊五郎が「六段目は腰元の心、七段目は女房の心」と言ったように、心情から生まれたものが型になっている。型を大事にしつつ、心情でその役になりきっていきたいし、それは八代目菊五郎として目指していくところです。時代物や世話物、舞踊と、歴代の菊五郎が名優揃いなので、そんな方たちに恥じないように勤め上げたいです。


【公演情報】
尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露狂言
尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露狂言
歌舞伎座「松竹創業百三十周年 團菊祭五月大歌舞伎」
5月2日(金)~27日(火) [休演]12日(月)、22日(木)
〈昼の部〉
『京鹿子娘道成寺』三人花子にて相勤め申し候
白拍子花子 菊之助改め八代目菊五郎
白拍子花子 丑之助改め六代目菊之助
〈夜の部〉
襲名披露『口上』
菊之助改め八代目菊五郎
丑之助改め六代目菊之助
『弁天娘女男白浪』浜松屋見世先の場より滑川土橋の場まで
〈浜松屋・極楽寺屋根〉
弁天小僧菊之助 菊之助改め八代目菊五郎
〈稲瀬川勢揃い〉
弁天小僧菊之助 丑之助改め六代目菊之助
歌舞伎座「松竹創業百三十周年 六月大歌舞伎」
6月2日(月)~27日(金) [休演]10日(火)、19日(木)
〈昼の部〉
『菅原伝授手習鑑』車引・寺子屋
〈車引〉
梅王丸 丑之助改め六代目菊之助
〈寺子屋〉
松王丸 菊之助改め八代目菊五郎
〈夜の部〉
襲名披露『口上』
菊之助改め八代目菊五郎
丑之助改め六代目菊之助
『連獅子』
狂言師右近後に親獅子の精 菊之助改め八代目菊五郎
狂言師左近後に仔獅子の精 丑之助改め六代目菊之助
大阪松竹座「松竹創業百三十周年 七月大歌舞伎」7月~
名古屋御園座「吉例顔見世」10月~
京都南座「松竹創業百三十周年 當る午歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」11月~
博多座「六月博多座大歌舞伎」2026年6月~
〈公演サイト〉
(五月)https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/890
(六月)https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/891


【取材・文/内河 文 写真提供/松竹】

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