
坂口 今回は岡本綺堂の『平家蟹』です。
植本 話がシンプルだよね。
坂口 そうですね。しかも要所を突いているというか、わかりやすい展開なのに見所がたくさんあります。
植本 色彩的っていうか、色が浮かんでくる感じで上手だなと思いました。
坂口 岡本綺堂って僕は全くノーマークでして、新歌舞伎というのもなんだかあんまり・・・
植本 興味がなかった。
坂口 だからここら辺のノーマークはちょっとやばい。今更反省してもしょうがないけれど。前、やった韓国の革命家の話、
植本 安重根。
坂口 あの作家の林不忘(長谷川海太郎)とかもすごい面白い作家だったし、
植本 二人とも流行作家さんね。
坂口 ちょっとこう近いというか、気持ち的にも何だろう。新聞、当時の新聞というのが斬新な媒体なわけでしょよ。
植本 うん。
坂口 だから、そういうところで活躍していた人たちというのが、僕らが思う今の新聞とは全然違って進取の精神に富んでいて、攻撃的な面白い作品を作っていたんだなというのはすごく思いました。
植本 いや面白かったですよ。
【登場人物】
官女 玉虫(たまむし)
その妹 玉琴(たまこと)
那須与五郎宗春(なすのよごろうむねはる)
旅僧 雨月(うげつ)
官女 呉羽(くれは)の局(つぼね)
同 綾の局
浜の女房 おしお
那須の家来 弥藤二(やとうじ)
ほかに那須の家来。浜のわらべなど
(岡本綺堂『平家蟹』より引用)
坂口 お話としては、源平の戦いに敗れた、平家の人の話ですね。
植本 平家は戦いに敗れて、たくさんの人が海に沈んでいった。
坂口 その生き残りの、
植本 官女、玉虫と玉琴の姉妹の話です。
坂口 敗けたけど、でも生き残ってしまった人の話ですね。で、その長女の玉虫さんがすごく過激な思想の持ち主なんですね。
植本 とにかく源氏のことを恨んで恨んで、今でも恨んでいてね。
坂口 恨み方が尋常じゃないですよね。
植本 その恨みのエネルギーで毎日暮らしているような人ですね。
【ト書き】
寿永四年五月、長門国(ながとのくに)
壇の浦のゆうぐれ。あたりは一面の砂地にて、所々に磯馴松の大樹あり。正面には海をへだてて文字ヶ関遠くみゆ。浪の音、水鳥の声。
(平家没落の後、官女は零落してこの海浜にさまよい、いやしき業して世を送るも哀れなり。呉羽の局、綾の局、いずれも三十歳前後にて花のさかりを過ぎたる上、磯による藻屑を籠に拾う。)
【本文】
呉羽 のう、綾の局。これほど拾いあつめたら、あす一日の糧に不足はござるまい。もうそろそろと戻りましょうか。
綾の局 この長の日を立ち暮して、おたがいに苛うくたびれました。
呉羽 今更いうも愚痴なれど、ありし雲井のむかしには、夢にも知らなんだ賤の手業に、命をつなぐ今の身の上。浅ましいとも悲しいとも、云おうようはござらぬのう。
(後略)
(岡本綺堂『平家蟹』より引用)
坂口 まずは最初の場面が簡潔でわかりやすい、よく歌舞伎で最初に大勢の人がわいわい言って場面の説明をするけど、
植本 噂話をしてね、
坂口 ここでは生き残った平家の女性が磯で海藻を拾って、その日のあてにしようみたいな話をして、時勢を嘆くでしょ、
植本 春を売って生活をしている人もいるけれど、ってもう全部説明してます。
坂口 その会話がやわいというか。読みやすい。耳心地のよい会話で。この人すごいと。
植本 岡本綺堂?
坂口 そう(笑)と思いまして。
植本 よかったです(笑)。編集長に褒められて、岡本綺堂も嬉しいと思います。
*
坂口 そのあと男の人で生き残った人が出てきます。
植本 その前にまず童がね、
坂口 あっ、子供たちが浜辺にいて蟹を取ってるんだよね。
植本 そうなんです。
坂口 平家蟹だね。
植本 そうなんですよ!
坂口 こんなんです↓

植本 赤が平家の色で、
坂口 そうそう。源氏が白で、平家が赤。
植本 子供たちがそのカニを捕まえて持って帰ろうみたいな。
坂口 そうすると、雨月という元平家の武士で、今は僧になっているという。彼が童等に「許してあげたら」って、あれは何て言うの? 生き物を自然に返す功徳?
植本 放生会?
坂口 それと平家への思い入れみたいなのを掛けているのかな。とにかく大人と子供の楽しい場面です。
植本 海辺だしね。すると主人公の玉虫が現れるんですね。二人は久しぶりの再会です。
坂口 玉虫が雨月に、お前そんな日和ってんじゃねえよって、もっとちゃんと源氏に対して反抗しろって言ってますね。そこで一旦二人は別れます。
*
植本 玉虫がいなくなると、源氏の武士が現れて喧嘩になるんだけど、まあ、元武士なので強いんですよ、雨月が。源氏の武士たちを投げ飛ばして「あーあ、俺はやはり武士なのか」みたいな(笑)。
坂口 そう、だから次々に見せ場がある。
植本 展開が小気味良い。
坂口 そうなんですよ。彼はいい。
植本 もう大好きじゃない。岡本綺堂。
坂口 いや、本当にちょっとみんな見習って。
植本 誰に?
坂口 (笑)。
*
植本 次の場面は玉虫と玉琴の家ですね。
坂口 ぼろぼろの苫屋。
植本 朽ちていると書いてある。
坂口 歌舞伎はこういうのちゃんと作ってくれるから楽しいよね。
植本 ”垣のそとには松の大樹ありて、うしろには壇の浦の海近くみゆ”って。
坂口 それだけでもちょっとワクワクする感じの場面にしておいて、
植本 お姉さんの玉虫が帰ってくるんですね。
坂口 おしおっていう地元の女が留守番してるんだ。で、玉虫が帰ってきて、何かこれもお決まりだけれど、おしおが余計なことを言うわけだね。
植本 そうなんですよね。『ロミオとジュリエット』の乳母みたいな感じだね。
坂口 後から出てくるけど、玉琴にはもう恋人がいるんですよね。
植本 それが敵方の那須与一の弟なんですね。
坂口 よくはめたよね岡本綺堂。那須与一の弟とはね。この因縁話すごくうまい。
植本 玉虫がそれで激怒して。よりにもよって、那須与一の弟と。
坂口 しかも自分が那須与一(源平合戦「屋島の戦い」で平氏が掲げた扇の的を射抜いた弓の名手)が射落とした扇を持っていたのが玉虫という因縁があります。

植本 そうそう。
坂口 いいよね、こういう因縁話はすごく受け入れやすい。
植本 どんなにご都合でもね(笑)。
坂口 そう、ご都合ならご都合ほどいい。
植本 わははは。
【ト書き】
(雨の音さびしく、奥より玉虫は以前とかわりし白の着附、緋の袴、小袿にて、檀扇を持ちていず。遠寺の鐘の声きこゆ。玉虫は鐘の音を指折りかぞえて独り語。)
【本文】
玉虫 今鳴る鐘は酉の刻……。平家の方々が見ゆるころじゃ。
(縁に出でてあたりを視る。垣のかげより大いなる平家蟹這いいず。)
玉虫 おお、新中納言殿……。こよいも時刻をたがえずに、ようぞまいられた。これへ……これへ……。(檜扇にてさしまねけば、蟹は縁の下へ這い寄る。)余の方々はなんとされた。つねよりも遅いことじゃ。
(上のかたの木かげよりも、おなじく平家蟹あらわる。)
玉虫 おお、能登どのか。今宵は知盛の卿に先を越されましたぞ。(打笑む。)
(左右よりつづいて二三匹、四五匹の蟹あらわれいず。)
(後略)
(岡本綺堂『平家蟹』より引用)
坂口 そのあと弟の使いの者が来たりして、いろいろあるんですがお姉さんが服装を変えてきますよね。
植本 はいはい。
坂口 そこら辺も何かが起こる前兆かなと。
植本 白い着付けに赤い緋色の袴と打ち掛けかな。
坂口 お姉さんの玉虫が何かを決意した?
植本 急に現れたら見た目にはそりゃあ白と赤できれいでしょう。
坂口 格好いいんですよ。ぼろっちい家に。
植本 そうそう。
坂口 落差がすごくよくて、あと蟹が出てくるのかな?
植本 蟹いっぱい出てきますよ。
坂口 蟹に平家の武将の名前がついているんだよね。
植本 玉虫が勝手につけているんですけどね。
坂口 (笑)。
植本 遠くで寺の鐘が聞こえてね。
坂口 ここも見せ場ですね。場面ごとに見せ場があって飽きさせない。
*
植本 そうするといよいよ与五郎という那須与一の弟が来て「玉琴さんを連れて那須に帰りますが、お姉さんも一緒に那須に行きませんか」って言ってます。
坂口 玉虫にしてみればこの状況にはらわた煮えくり返ってます。
植本 でも与五郎が一緒に行きましょうと言った時に、お姉さんが何と色よい返事をするんですよね。「私はいいけどあなたたちは幸せになりなさい」と「ちょっと家で祝言じみたことをやってみる?」ということから悲劇に(笑)。
坂口 三々九度をしようということになるんですよね。
植本 そうです。
坂口 それで三々九度をすると。二人が具合悪くなっちゃいます。
植本 そう。一気に毒が回ってきます、お酒に毒が入ってたんですね。
【本文】
(前略)
与五郎 さては扇のまとのうらみによって……。
玉虫 おのれはかたきの末じゃ。兄の与市めも遅かれ速かれ、共に地獄へ送ってやろうぞ。
【ト書き】
(いよいよ心地よげに笑う。与五郎は無念の歯をかめども、苦痛はしだいにはげしく、ただ苦しき息をつくのみ。玉琴は這い寄る。)
【本文】
玉琴 与五郎どの……。おん身をここへ誘うて来ずば、こうしたことにもなるまいものを……。
与五郎 おお、この上は是非も無し、かれは生きて源氏を呪わんと云う……われは死して彼を呪わん。玉虫……。おのれもやがて思い知ろうぞ。
玉虫 人に執念のないものは無い。われもひとを恨めば、ひとも我を恨もう。つまりは五分五分じゃ。恨まば恨め、七生の末までも恨むがよい。
与五郎 おのれ……。
【ト書き】
(起たんとしてよろめくを、玉琴は支えんとしてすがりつく。)
【本文】
与五郎 最早これまで……。玉琴……。
玉琴 与五郎どの……。
【ト書き】
(与五郎は刀をとりなおして玉琴の胸を刺し、返す刀にてわが腹に突き立て、引きまわして倒る。下のかたの木かげより雨月再びうかがい出で、垣の外にひざまずきて合掌す。玉虫は見咎める。)
(後略)
(岡本綺堂『平家蟹』青空文庫より引用)
植本 与五郎が反撃を試みるんですけれどね。でもやっぱり毒が強くてなかなか立てないし、刀も抜けない。
坂口 玉琴も助けたりしながらなんですが。だからここは結構な修羅場です。
植本 しかも一応玉琴は、「私がこんなところに連れてこなければ」みたいなこと言ってますけどね。
坂口 いまごろ言っても遅いです!
植本 (笑)で、そこは与五郎は武士なので毒で死ぬのはっていうのでね、玉琴を刺し殺して、自分も切腹して死にます。
*
坂口 それでおしまいかな?
植本 そうすると、そこに僧になった雨月がやってきて。「もうそんな魔道に落ちた玉虫を私は助けることができない」って言って。
坂口 こいつ、ずるいよね。
植本 最初から玉虫に家に来てと言われていたけれども、すごく乗り気じゃないからね。
坂口 そうだね。
植本 近寄らんとこって思ってて。一応やってきて様子を見て、こりゃもう無理だって。
坂口 こんな人いますよね。やることやったから、後知らないからみたいな人ね。
植本 で、雨月もいなくなり、蟹が出てくる。
坂口 ん?
植本 蟹が海の方に導いて、
坂口 誰を?
植本 玉虫をです。
坂口 ああ、このお姉さんは海に。
植本 そうです。海に向かって行って死ぬんでしょう。
坂口 そうか。
*
植本 そうです。で最後の最後に、この弥藤二が出てきてぶつかるんですよね。
坂口 誰と?
植本 玉虫と。弥藤二は松明を持ってきているんですよ。ぶつかった時に玉虫はものも言わずその松明を奪い取ると書いてある。その松明を持った玉虫が海に消えて行くのがきれいだねって。
坂口 なるほどね。あ、本当だ。
植本 〝弥藤二は呆れてあとを見送る。浪の音、雨の音〟っていう。
坂口 カッコイイねー。
植本 格好いいんですよ。明治四十五年四月、浪花座で初演。
坂口 与五郎と玉琴が死ぬところもいいよね。「もはやこれまで」とかさ、そういうせりふは好きだな。
植本 わははははは。
*
坂口 上手だよね。蟹も出てくるし。
植本 蟹が玉虫を誘って海へ行くという、
坂口 でき過ぎですね。
植本 その情景がとてもよく浮かぶ。歌舞伎にしては平易な言葉で書かれているしね。
坂口 歌舞伎の面白がれる要素がたくさんありますね。やり方しだいでしょうけどアングラっぽい感じもしてね。
植本 2005年版を見た人の感想を探すと、とにかく暗かったって書いてあって、照明的な問題なのか、演出も多少おどろおどろしすぎたのかわからないけど、ちょっとポップにできるかもなって。
坂口 全然全然、むしろそうしないと面白いものにならないと思います。
植本 今何とかの会てあるじゃない。個人の会とかが。そういうのでやっても全然ありですね。
坂口 前に植本さんが出たあれみたいな規模で十分ですね。
植本 中村京蔵さんのね。爽涼の會『フェードル』かな。
坂口 植本さんの役は玉琴にしましょう。
植本 (笑)。
プロフィール

植本純米
うえもとじゅんまい○岩手県出身。89年「花組芝居」に入座。2023年の退座まで、女形を中心に老若男女を問わない幅広い役柄をつとめる。外部出演も多く、ミュージカル、シェイクスピア劇、和物など多彩に活躍。09年、同期入座の4人でユニット四獣(スーショウ)を結成、作・演出のわかぎゑふと共に公演を重ねている。
坂口真人(文責)
さかぐちまさと○84年に雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。以降ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。16年9月に雑誌名を「えんぶ」と改題。09年にウェブサイト「演劇キック」をたちあげる。





