劇団☆新感線は現在「爆烈忠臣蔵」の東京公演中です。江戸後期の天保年間、幕府の弾圧に抗いながら「忠臣蔵」を上演しようとする芝居者たちの話をドタバタとパワフルに上演しております。
東京公演の会場は新橋演舞場。新派の殿堂として知られている他に、新橋芸妓による「東をどり」でも有名です。そして、もちろん歌舞伎も上演されていますし、日本有数の長さを誇る花道も完備されています。客席を巡る様に配置されている提灯からも歌舞伎小屋としての風情が感じられるんですよね。
今回の「爆烈忠臣蔵」は歌舞伎の芝居者たちが登場人物ですから、この新橋演舞場で上演できることが嬉しいのです。しかも、新橋演舞場は今年で100周年! もちろん建て変わってはおりますが、この地で百年ものあいだ公演を行ってきたのです。百年前ってことは大正14年ですよ。すごいよねえ。
ところで、歌舞伎は安土桃山から江戸の頃に始まったと考えられています。出雲阿国による「かぶき踊り」が始祖とされていて、その頃に流行った奇抜な格好をする「傾き者」の扮装をして茶屋の女と戯れるという踊りだったようです。
それが当時最先端の楽器である三味線などを取り入れて、遊女たちが踊る「女歌舞伎」へと進化します。そして京から大坂、江戸へと流行が広がっていくのです。
しかし、流行りすぎて色々と問題が起こります。ひいき同士の争いが起こったり、売春の温床になったりしたことで、風俗が乱れると女歌舞伎は禁じられてしまいました。同様に、美しい少年たちによる「若衆歌舞伎」も禁止されます。そして、成年男子のみで演じられる「野郎歌舞伎」のみが生き残って現代まで続いているという訳です。
そんな歌舞伎も、始めは踊りに簡単な物語が付いている程度のものだったのが、徐々に複雑なストーリーのある演劇へと変化していきます。
初期には神社の境内などで上演されていたようです。「芝居」という言葉の由来も、芸能や神事を観客が芝生の上で見ていたことから来たそうです。芝に居るから芝居。なるほど。
その後、筋書きや仕掛けが大きくなると常設の劇場ができるようになりました。常設とはいえ、構造上の問題から一年ごとに建て替えるような簡素な造りだったようです。それが元禄の頃から防火対策のために瓦屋根を葺くようになり、よりしっかりとした劇場へと変化していったのです。
舞台の前の広いところ、いわゆる一階席に当たる部分は平土間で土間席と呼ばれ、値段の安い庶民のための座席でした。そして平土間を囲むように一段高くなった桟敷席があり、芝居茶屋を通して買う必要のある高価な座席でした。
舞台下手側に花道があるのも江戸時代から。これは能舞台の「橋掛かり」から変化したもののようです。それが故に出入り口は下手が多く、役者の出入りも下手メイン。上手側には建物があって、上手側に偉い人が座る。これは歌舞伎に限らず落語でも吉本新喜劇でも基本的にはそうなっているんですね。
さて、ここで心配になるのが江戸時代の照明事情です。今では完全暗転ができる密閉された劇場で数多くの照明機材を使用することができますが、電気のなかった江戸時代はどうだったのでしょうか。
答えは当然「自然光」です。野外ならばそのまま、仮設や常設の劇場でも天窓などから入る自然光で上演されていたようです。ですから上演されるのは日の出から日の入りまでの間に限られます。早朝6時頃から上演していたそうですよ。
もちろんそれだけでは足りませんので、ロウソクや提灯なども併用されていました。長い棒の先にロウソクを付けて役者の顔の前に差し出す「面明かり(つらあかり)」というものもあったのだそうです。
まあそれにしても暗いとは思うのですよ。ですので役者は白塗りをしたり隈取りをしたりすることで、少しでも顔がハッキリと見えて役柄が判るようにしたのです。また、派手な「見得」を切ったり「睨み」を効かせるのも、見えにくい中で重要なシーンを印象づける為の作戦でもあります。まあ、当時はお弁当食べたりお喋りしながら観劇するのが通常でしたので、舞台に集中していないお客様を集中させるための手段でもありましたが。
かつて、良い役者の条件は「一声二顔三姿(いちこえにかおさんすがた)」と言われていました。見えにくいために顔よりも声質や台詞回しのほうが重要視されていたのですね。ちなみに三姿というのはスタイルも含みますが、立ち居振る舞いや仕草の美しさを指します。
ただ、照明はありませんでしたが、廻り舞台や迫り、スッポンなどの大掛かりな舞台装置は江戸時代にはもう稼働していました。舞台の下の奈落に心棒があって、舞台の盆をグルグルと回していたんですって。もちろん人力ですが。
そんなこんなの江戸時代の歌舞伎小屋事情。ザックリとまとめたので誤りもあるかもしれませんが、まあ大体こういった感じだったようです。江戸時代最大の娯楽とも言われ、ファッションなどの流行の発信源ともなっていた歌舞伎。もちろん我々は歌舞伎役者ではありませんが、その気概を継いで派手で楽しい舞台を伝統の歌舞伎小屋で上演できることは大きな喜びなのです。12/26まで新橋演舞場でやっておりますよ!

新橋演舞場は100周年ですが、松竹さんは130周年なんですって!

粟根まこと
あわねまこと│64年生まれ、大阪府出身。85年から劇団☆新感線へ参加し、以降ほとんどの公演に出演。劇団外でも、ミュージカル、コメディ、時代劇など、多様な作品への客演歴を誇る。えんぶコラム「粟根まことの人物ウォッチング」でもお馴染み。
【出演予定】
劇団☆新感線「爆烈忠臣蔵」
【松本公演】
2025年9月19日(金)〜23日(火祝) まつもと市民芸術館
【大阪公演】
2025年10月9日(木)〜23日(木) フェスティバルホール
【東京公演】
2025年11月9(日)〜12月26日(金) 新橋演舞場





