歌舞伎座「十二月大歌舞伎」で二代目澤村精四郎を襲名! 澤村國矢 取材会レポート 

超歌舞伎でもおなじみの実力派俳優、澤村國矢が二代目澤村精四郎(さわむらきよしろう)を襲名する。
9歳から子役として活躍し、澤村藤十郎の門下として、日々舞台で研鑽を重ねている澤村國矢。歌舞伎ファンのみならず、多くの人に愛されている超歌舞伎では、シリーズ第一作『今昔饗宴千本桜(はなくらべせんぼんざくら)』で敵役の青龍の精を演じたのを皮切りに、欠かせないメンバーとなっており、リミテッドバージョンで主役の佐藤忠信役を勤めたことも記憶に新しいのではないだろうか。

その國矢が、師匠・澤村藤十郎の芸養子(歌舞伎には芸の上でだけの養子となる制度がある)となって、12月3日から歌舞伎座で幕を開ける「十二月大歌舞伎」の第一部『あらしのよるに』で二代目澤村精四郎の襲名披露を行い、名題から幹部へと昇進することが決まった(26日まで。11日・19日は休演)。

國矢は現在、「名題」俳優(簡単に言えば一人前の歌舞伎俳優)で、名題も所定の試験に合格しなければなることはできないが、幹部は名題のさらに上の立場で、すべての名題がなれるわけではない狭き門である。そういう意味では、國矢のような一般家庭出身の俳優が幹部俳優になることは、とても珍しいケースだ。

『あらしのよるに』は、同名の絵本を原作に、2015年南座で初演された新作歌舞伎で、主人公がぶを演じる中村獅童の代表作のひとつ。國矢の実力を歌舞伎の内外に知らしめるチャンスとなった超歌舞伎を引っ張る存在でもある獅童が、主役を勤める『あらしのよるに』での披露となったところに、ふたりの深い縁や信頼関係を感じずにいられない。國矢はこれまで『あらしのよるに』では、狼じぐと山羊たぷを勤めているが、今回は狼ばりい役。どんな襲名披露となるのか、楽しみである。

10月下旬、その取材会が都内で行われた。紋付き袴の正装に、緊張の面持ちで現れた國矢。普段会見に出席することはほとんどなく、緊張するのももっともだが、それでも嬉しさが滲み出ていた。挨拶のあと行われた質疑応答では、歌舞伎俳優になったきっかけ、師匠との関係、獅童との関係、家族への思いなどをたっぷり語ってくれた。

【挨拶】

十二月、歌舞伎座において、私の師匠・澤村藤十郎が以前名乗っていた澤村精四郎という名跡を、二代目として襲名させていただくこととなりました。また、師匠・藤十郎の芸養子という形で引き受けてくださり、並びに幹部昇進という、本当に嬉しいことづくしです。これもひとえに松竹はもちろん、諸先輩方もそうですが、やはり幕張での超歌舞伎がご縁で、ご一緒の舞台に立たせていただき、本当によくしてくださっている獅童さんが、2年前、松竹の方に「國矢を幹部にしてあげてくれないか」と頼みに行ってくださり、それから話が今このような形になりました。幹部に一般家庭からなるのも数が少ないことで、自分も歌舞伎界での幹部という立場をこれからちゃんと思いながら舞台に立たなければいけないという責任は感じております。子どもの頃から憧れていた歌舞伎の舞台で、幹部の方たちがなさってきた役をやれると思うと、すごく楽しみでしかないです(笑)。大変だとは思いますが、今は嬉しさと覚悟を決めて頑張っていきたい。皆様どうぞよろしくお願いいたします。

【質疑応答】

──歌舞伎との出会いは?

僕はテレビっ子で、すごくテレビに出たいという目立ちたがり屋の人間だったので、応募して9歳から児童劇団に入っておりました。でも、子役でも映像のお仕事が全然なくて(笑)、映像よりまず歌舞伎でした。10歳の時、最初に『義経千本桜』の子狐で、着ぐるみを着て出たのが始まりで、歌舞伎に関わるのも、歌舞伎を観たのもそれが初めて。歌舞伎座で、1988年7月の猿之助(二代目市川猿翁)さんの通し狂言でした。その年に『河内山』の松江出雲守の小姓で出たのですが、出雲守を今の師匠がしていたのが初めての出会いで、すごく可愛がってくださり、毎日気にかけて「歌舞伎、好きかい?」なんて話しかけてくださいました。子どもながらに、観るより出ることがすごく楽しくて、「すきです」と答えたら「それならいろいろなお稽古をして、いずれうちのところに来なさい」と声をかけてくださったのが、歌舞伎が生業になるきっかけです。

──精四郎を名乗られるきっかけ、またその時の師匠の反応は?

獅童さんから(松竹に)言ってくださったのが2年前で、それを旦那にも報告したら大変喜んでくださいました。幹部になるなら、紀伊国屋にもいろいろな名前があるので考えておくという話でしたが、結果的に、自分が若い時に名乗っていた名前(精四郎)を名乗ったらどうだと仰ってくださり、精四郎に決まりました。でも、実際決まってから、やはり自分の名前を人に譲るのが旦那も初めてだったと思うので、すごく気恥ずかしいのと、自分の名前が奪われたような寂しさとが混じっていたようでしたが、喜んでおります。

──國矢という名前も、皆さんが応援してくださっていたと思いますが。

それは、すごくいろいろな方に言われました。30年近く名乗っていましたし、獅童さんも「俺もずっと獅童から変わっていないし、獅童で名前を売ってきたし、お前も超歌舞伎でこれだけいろいろな人が応援してくださっているから、國矢のままでいいのでは」と仰いましたが、やはり旦那はそれよりも良い名前にしたいと考えていたようです。

──精四郎の名前でと決まった時、獅童さんは?

自分が思っていた以上の話が進んでいることに、「本当にこれはすごいことだよ。紀伊国屋という名前を意識して、もっと頑張っていくようにしなさい」と言ってくださいました。

──超歌舞伎で國矢さんを知った人は多いと思います。超歌舞伎は、役者人生のターニングポイントでしょうか?

まさに、超歌舞伎で青龍(の精)を演じさせていただいた公演が僕のターニングポイントですね。

──獅童さんは、どんな存在ですか?

ご自身も歌舞伎のなかで恵まれない時代があったこともあり、役者としてのもどかしさ、舞台の真ん中に立てない悔しさを知ってらっしゃるので、そういう気持ちをすごく汲んで接してくださいます。僕にとっては、尊敬しておりますけれども、本当に家族のようなつもりでいます。

──同門の澤村國久さんとお話しされましたか?

幹部になる話は、師匠から事前に師匠から伝えてありましたが、すごく喜んで、また名前が精四郎ということで「本当にめでたい。俺も嬉しい」と仰ってくださいました。

──襲名に関してご家族は?

ものすごく喜んでおります。双子の娘がいますが、2人が生まれた時から超歌舞伎をやっておりました。2019年に生まれましたが、リミテッドを京都で公演した時はまだ家内のお腹にいて、毎日楽屋で超歌舞伎の『千本桜』を聞きながら育った感じで、今でも流すとペンライトを持ち出して振っております(笑)。今回も、すぐ喋ってしまうので「今度名前が変わるんだよ。まだ教えられないけど」と話していました。発表になってすぐに「精四郎だよ」と伝えたら、今も毎日「精四郎、精四郎」と言っています(笑)。

──ご両親は今回のことをどう思っていらっしゃると思いますか?

両親はもう他界しておりますが、私が名題になった時は、まだ存命でしたので喜んでいました。今回の幹部に関しては、いの一番に報告をして参りました。父はリミテッドと超歌舞伎は観ていて、幕張にも来ていたし、すごく喜んでおりましたので、この幹部昇進は観てもらいたいと思いましたが……(涙で声をつまらせる)。喜んでいると思います。

──どんなふうにご報告を?

本当に親バカでしたからね。小さい頃から「お前は絶対偉くなれる」と応援してくれましたから。言っていた通り、幹部になれたと報告しました…すみません(目元を拭う)。

──南座の超歌舞伎のリミテッドバージョンでセンターに立たれた時、それまでとは違うと感じられたことは?

本当に変な話ですが、ライトが歩くとついてくるという感覚(笑)。本当にスポットライトって当たっているんだなと思いましたね。それとやはり、大梯子の立廻りがありまして、それ(大梯子)を自分たちが支えたり、そこでとんぼを返ったりすることが多かったのですが、それを見上げて「そこの景色ってどんな風に見えるのかな」と思っていたので、リミテッドの時のその景色はいまだに忘れられません。自分は天まで上がってるんじゃないかというぐらい高く感じました。

──幹部になるのは、自分の意思で何とかなることではありませんが、歌舞伎役者として進んでいこうと思ったとき、目標としていたことは?

最初に声をかけていただいたのが10歳で、中学1年生まで歌舞伎の舞台子役として出ていましたが、思春期が訪れまして、それ以降の中学時代は、歌舞伎からちょっと遠ざかっていました。その間も踊りの稽古は続けていましたが、やはり自分の中で歌舞伎役者になるのか迷いはありましたね。周りが進学していくなか、私はちょっと悪い友達と遊ぶのがすごく楽しい時期がありまして(苦笑)。実は国立劇場の研修所に入ったのですが、素行が悪くて、辞めちゃったんですよね、2ヶ月で。それで旦那にすごく怒られて、本当に「顔も見たくない」と謝りに行っても門前払い。そこで、自分にとって歌舞伎ができなくなるのはすごく嫌なことで、ちゃんと覚悟を決めてその進路に向かっていかなかったことを反省して、通い詰めて、やっと許しを得て、その年の12月頃からお手伝いするようになり、翌年3月に入門しました。

──それでも歌舞伎をやりたいと惹きつけられたのは?

その間、ずっと踊りの稽古は続けていたので、踊りが大好きだったんですね。なので、踊りの稽古場にも行けない状況で、それも辛かった。やはり自分は踊りも大好きだし、いずれ歌舞伎役者になって舞踊も踊りたいとなると、本当に歌舞伎役者になりたいという思いは膨らみますね。入門してすぐは「お前はゼロからのスタートじゃないんだ。レッテルを貼られてこの業界に入ってくるんだから、人の2倍も3倍も頑張らなきゃ駄目だ」と毎日怒られておりました。そのことが、自分の頑張る原動力になったのは確かですね。中学を卒業して、そのまま真っ当に歌舞伎の道に入っても、多分頑張っていなかったんじゃないかな。「すごく遠回りした結果が良かったんじゃないか」とは、旦那にもよく言われます(笑)。

──「きよしろう」といえば忌野清志郎さんですが、意識されたりは?

僕は意識していませんでしたが、獅童さんは「お前、良い名前だよ“きよしろう”は。ロックの神様だぜ?」と仰っていました(場内笑い)。

──どちらかというと立役ですが、時代物をもっとやりたいとか、世話物をもっと勉強したいとか、そのへんはいかがですか?

両方ですね。時代物もやる機会が少ないですし、いろいろなことを教わりたい。義太夫物は特にそうですが、しっかりと勉強して演じていきたいと思います。世話物は、今すごく獅童さんが力を入れてらして、ご一緒することが多いです。世話物もいろいろなお役があるので、いろいろなことに対応できたら。

──襲名して、改めてご自身のどういう強みを発揮したい? またテレビっ子だったので、今後獅童さんのように映像の世界で活躍したいなどは?

踊りは自分の一つの武器ではあるかなと思います。ただ、歌舞伎のなかでは芝居が真ん中ですので、芝居をするにあたり、所作として踊りが必要だなとは思います。そういった所作が大事な芝居、やはり時代物の形が綺麗だとか、見得の形が綺麗だとか、そういうものが必要になると思いますので、古典をやはりちゃんとしていきたい。映像系は、今はそこまで考えていませんが、やはり必要かなと思います。いろいろな方々が映像で多彩な才能を発揮していらっしゃるし、自分は46歳なので、今からテレビと言ってもなかなか難しいと思いますが、興味があります。映像の芝居の仕方と歌舞伎の芝居の作り方とは、また違うとは思いますが、総合的に考えるとマイナスなことはないのでは。それも、これからは大事な演技手法ではないかと思うので、できれば両方いろいろなことにチャレンジしていきたい。

──今の立場で言いにくいかもしれませんが、紀伊国屋は(九代目澤村)宗十郎さんが亡くなって、藤十郎さんも今(舞台から)遠ざかっていらして、私たちが辛うじて観たことはあるけれど、この後もしかしたら50年ぐらいずっと上演されないものがあるのではないかと。そのあたりの芸の継承の意識は?

自分が繋いでいかなければいけない立場になると思うと、やはり途絶えてしまうと思われたものにもいずれ挑戦していきたいと、思い始めました。私は基本が立役なので、お家のものでもできる数は限られてくるとは思いますが、何とかできるものはやっていきたい。今さらですが、女方もやってみることもあるかもしれませんし。本当にこれからいろいろ考えていかなければ。

──血筋が大事な歌舞伎の世界で、こういうことになり、歌舞伎界も風が吹くというか、変わり始めているような感じもありますか?

本当にそれはずっと獅童さんも言ってくださるし、私たち弟子にも光を当てる舞台を作ってくださるのは、そういった意味も含まれていると思っています。なので、体制がそう変わっていくのがやはり一番だと思いますし、そういうつもりで、毎回私もリミテッドを演じていました。最近では歌舞伎座でも、我々のような名題でもすごく良い役をくださる機会が増えております。「錦秋十月大歌舞伎」『俊寛』で千鳥を演じた(上村)吉太朗くんもそうです。一般家庭から幹部になる道がしっかりとあるんだと、皆さんのモチベーションを上げるためにも、僕もやはり頑張っていかなきゃいけないし、その希望になれたらと思っています。

──『あらしのよるに』で襲名というのはどんな感じですか? これは獅童さんにとっても思い入れのある作品で、だいたい襲名のお披露目は古典作品ですが。

やはり私としては、獅童さんに音頭をとっていただいて披露するのが一番望んでいることなので、この時期にやろうと思ったタイミングが『あらしのよるに』でした。今までは披露が必ず古典でしたが、やはり違うというところに獅童さんらしい感じがあって、逆にいいんじゃないかという気がします。

──改めて、二代目精四郎をどういう名前にしていきたいか?

旦那が本当に幼い時から名乗っていた名前なので、「この精四郎というのは、幼い若い名前だからね」と仰っていますが、やはり精四郎ってすごく爽やかな名前という印象があります。私も46歳ですが、やはりその名前に合ったような、若い役もやっていきたい。あと、先ほど「忌野清志郎」さんと仰いましたが、これから僕も発信していかなければいけないと思うのは、やはり「きよしろう」と聞くと「清志郎」さんと間違える方が多いので、そこはもう声を特大にして、「精四郎」という名前をアピールしていきたいと思います。そのうえで「忌野清志郎」さんがリンクすれば、逆に「澤村精四郎」を売っていけるかなと(笑)。

──最後にお客様へのメッセージを。

本当に皆様のおかげで襲名することとなりました。やはり一般家庭の人間が、このような道を辿って夢を叶えていくことは少ないと思いますが、そういった方たちの希望となれるように、自分も精一杯、幹部としての仕事をまっとうして、全力で歌舞伎に向き合っていきたいと思っております。応援よろしくお願いいたします。

【公演情報】
歌舞伎座「十二月大歌舞伎」
日程:2024年12月3日(火)~26日(木)
休演:11日(水)、19日(木)
出演:坂東玉三郎、中村獅童、尾上松緑、尾上菊之助、中村勘九郎、中村七之助、中村雀右衛門ほか
演目

◎第一部 午前11時~

発刊30周年記念
きむらゆういち 原作(講談社刊)
今井豊茂 脚本
藤間勘十郎 演出・振付
『あらしのよるに』
二代目澤村精四郎襲名披露

がぶ 中村獅童
めい 尾上菊之助
たぷ 坂東亀蔵
みい姫 中村米吉
はく 市村竹松
のろ 市村光
幼いころのめい 中村陽喜
幼いころのがぶ 中村夏幹
ばりい 澤村國矢改め澤村精四郎
山羊のおじじ 市村橘太郎
絵師 市川門之助
がい 河原崎権十郎
狼のおばば 市村萬次郎
ぎろ 尾上松緑
〈公演サイト〉https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/882

【取材・文/内河 文 写真提供(C)松竹】

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