
時に、なりふり構わず頑張る姿というものは、理屈抜きに、とても感銘を受けたりするもので、そんな人を眩しく見ていたりする。
しかし、時にはその、ナリもフリも構わなすぎるのも問題なもので、
見る目の厳しい社会の中においては、何かに夢中の際も、これはちゃんと節度のある「夢中」だろうか?なりふり構わない感じになってしまっていないだろうか?などと気にしなくてはならなかったりもする。ということを私は気にしたりする。
そんな気にしている矢先に、さらなる「なりふり構わない」人を見かけた。ニュースで。
とある屋内陸上競技会の、障害物競走のようなあまり見たことのないような種目にて、その女性選手は、なかなかの「なりふり構わない」領域に達していた。
その選手は、もよおす便意もなんのその、お尻から大きな濁流を流しながら競技を続けたそうな。そしてなんと優勝までしたそうな。
インタビュアーに「もしかしてちょっと漏らしてましたか・・?」と聞かれて、「勝ちは勝ちよ!」とまで言い放ったそうで。
いや、そんな状態でも競技を続けて、しかも優勝までしてすごい根性だと感心したものである。
しかし現場は、競技のエリアや器具などあちこちに撒き散らかされて、他の選手もスタッフもたまったもんじゃない。
まあ、当の本人も、実際はきっと辛かったことだろう。
レース中に、マジかよ・・などと焦り、何ヶ月もの死に物狂いの特訓をトイレ事情なんかで台無しにできねえよ。コーチやスポンサーや応援してくれている皆に顔向けできねえよなどと、崖っぷちからの「なりふり構わず」だったのだろう。
しかしまあ、普通に考えて、やっぱりダメかな。そこは、なりふり構ってトイレに直行して欲しいかなやっぱり。
なんて理想ばかりも言ってられないもので。
演劇の本番中などでも、悠長なこと言ってられない時ってあるもんなあ。
ふと思い出す。
小学生の頃、友人と帰っている時にお腹が痛み出して耐えきれなくなった私は、横を歩く友人に不自然に体を正対させて背後を見えないようにして、白い短パンのお尻を染色しながら歩き続けたのを思い出した。
あの時の必死の作り笑顔と冷や汗は、ある意味なりふり構ってられない状況だったのかもしれない。どうでもいいな。
なりふり構わず低俗なことを書いてしまったのである。
著者プロフィール

ノゾエ征爾
のぞえせいじ○1975年生。脚本家、演出家、俳優。はえぎわ主宰。青山学院大学在学中の1999年に「はえぎわ」を始動。以降全作品の作・演出を手がける。2011年の『○○トアル風景』にて第56回岸田國士戯曲賞を受賞。
▼▼前回の連載はこちら▼▼
https://enbutown.com/joho/2026/09/16/nozoe-162/





