【植本純米vsえんぶ編集長、戯曲についての対談】『パンドラの箱』ベンジャミン・フランクリン・ヴェデキント作 岩淵達治翻訳

坂口 今回は『パンドラの箱』、前回の『地霊』の続きになってセットで『ルル二部作』といわれています。
植本 『地霊』では光輝いていたルルが、『パンドラの箱』ではどんどんみすぼらしくなっていきます。過去を背負っていきますからね。
坂口 もう彼女が主役というより周りの人と彼女との関係をみせていくみたいな流れですね。
植本 うん。
坂口 ちょっとまどろっこしいというか、
植本 『地霊』読んでて筆が走ってる感じがしたんですけど。今回の『パンドラの箱』は減速するというかね。
坂口 改めて読んでみると三幕の淫売宿の場面が圧倒的に面白いですね。役者の指定があって前にコレやった人はここではこの役、みたいなね。
植本 『地霊』でシェーンの役をやってた人が作家のヴェデキントですけど、最後の切り裂きジャック役も兼ねるっていうのもセットなんでしょうね。
坂口 なので三幕はあとでね。
植本 そうそう。そういえばパンドラの最初のやりとり、書店でのプロローグってやつ。これも変だよね。

【書店でのプロローグ】

 (人物)
 一般読者
 目はしのきく出版業者
 恐縮した作者
 高等裁判官

(本文)
このプロローグは、しかるべき衣裳を羽織ったり冠りものをつけたりして、ロドリーゴとカスティ-ピアーニと、アルヴァとシゴルヒの役者によって演ぜられる。ロドリーゴは明るいスプリングコート、粗織りウールの帽子、カスティ-ピアーニはナイトガウンとビロードのナイトキャップ、アルヴァはハーヴロックと畳めるシルクハット、シゴルヒは法衣と法帽をつける。
舞台は幕前、簡単な本棚。

  一般読者(よろけて入ってくる)
ぼくはお宅で本が一冊買いたいんだ。
なかに書いてあることなんかどうでもいい。
人間は、ときた。酒飲むためのみに生きているにあらず、かい。
手っ取り早く安い本が欲しいんだ。
一番上の娘のやつが堅信礼なんで
プレゼントしてやるつもりなんだ。

  目はしのきく出版業者
それじゃ自信をもっておすすめできる本があります。
そいつを読むと人間の心が高鳴るやつだ。
今じゃそいつを読んだ人の数は五百万だ。
明日はまた版を重ねるでしょう。
誰が読んでも長続きするご利益がある。
だって誰にとっても新しいことは何も書いてないんですからね。
(後略)
(『地霊・パンドラの箱』岩波文庫刊より引用)

植本 これは『地霊』の成功があってこそのものだと思うんだけど(笑)。
坂口 この場面いるかな?
植本 これは『地霊』が裁判沙汰になったっていう前提なんですよね。だから高等裁判官とかが出てきて「これはエロか芸術か」みたいな。
坂口 なるほどね。登場人物たちが夫々の立場で皮肉の効いた発言をしてます。彼は演劇的な展開だけではなく、もう少し広い状況感で作品を作ってるんですね。
植本 それでもこの場面いるかどうかっていう問題はありますよね。
坂口 この部分はオペラでは無いのかな、二作品が繋がってるってわかるように二つの作品の間に映像を入れたらしいですね。

【登場人物】
ルル
アルヴァ・シェーン
ロドリーゴ・クヴァスト(力業師)
シゴルヒ
アルフレート・フーゲンベルク(感化院生)
ゲシュヴィッツ伯爵令嬢
カスティ-ピアーニ伯爵
プントシュー(銀行頭取)
ハイルマン(新聞記者)
マゲローネ
カディージャ・サンタ・クローチェ(その娘)
ビアネッタ・ガーツィル
ルドミラ・シュタインヘルツ
ボッブ(ボーイ)
刑事
フニダイ氏
クング-ポティ(ウアフベー国の皇太子)
ヒルティ博士(大学講師)
ジャック

【第一幕】
 檞材で彫刻の施されたどっしりとした天井板をもつ、ドイツ・ルネッサンス様式の豪華な広間。壁は半分ほどの高さまで、黒い木の彫刻を施した板で飾られている。その上部は左右とも色あせたゴブラン織の幕が下がっている。
(後略)
(『パンドラの箱』岩波文庫刊より引用)

坂口 一幕では夫のシェーンを殺して刑務所に入っているルルを策略を巡らせ脱獄させて、彼女が屋敷に戻ってます。
植本 そこは面白いじゃないですか。レズビアンの伯爵令嬢ゲシュヴィッツって女性がルルのことが大好きすぎて。で、段々格好とかをルルに似せていって・・・あれすごくない?病気をうつす。
坂口 コロナ?
植本 (笑)コロナじゃなくない?
坂口 ペストか。
植本 わざわざ自分がペストに罹ってルルに同じ下着を穿かせたりしてうつす。
坂口 ですよね。
植本 うつして病気になったら隔離されるから同じところに隔離されて、そのうちに段々ふたりが似てきて入れ替われるっていう(笑)。ゲシュヴィッツはそれほどルルのことが好きなんだね。
坂口 ちょっと無理があるかもしれないけど話だからね(笑)。
植本 ファンタジー色強くて面白い。
坂口 そのかいあってルルは脱獄に成功して、みんなのもとに戻ってきます。この場面では他の人がルルとの利害とか愛情関係を上手くやろうと画策するわけですけど、なんかみんなに『地霊』ほどこだわりが見えない。
植本 ルルが『地霊』の時ほど輝いていないのでね。
坂口 結局ルルに父親を殺されたアルヴァが恋人みたいになってますね。

【第二幕】
(本文)
 背景には大きな両開きのドアのある白い漆喰塗りの大広間。ドアの両側には高い鏡。両側の壁にはそれぞれドアが二つ。下手の二つのドアの内には白大理石板のロココ風の張出(ルビ:コンソール)。その上にピエロ姿のルルの肖像が細い金の額縁に入れて壁にはめこんである。
(中略)
紳士たちは社交服———ルルは、大きな袖のついた執政時代(ルビ:デイレクトワール)のローブ、胴着のひだのところから足もとまで一本のレースがはらりと下がっている。腕は白い皮手袋、髪は巻きあげて、上に小さな羽毛のふさでまとめてある。———ゲシュヴッツは、空色の、白い毛皮で縁とりし、銀の笹べりで胴部を締めた竜騎兵の胴着、白い蝶ネクタイときっちししたハイカラー、大きな象牙ボタンの野暮なカフス。———マゲローネはとても袖の広い明るい虹色の玉虫ドレス、長く細い胴着、螺旋状に巻いたバラ色のリボンと菫の花束(ルビ:ブケー)でできたひだ飾りが三箇、髪はまんなかで分け、こめかみの下の方までずっと垂れ、わきでカールしてある。額には真珠母の装飾が髪の下に隠れた繊細な鎖でとめてある。———彼女の娘カディージャは、十二歳で、明るい緑色のフェルトの小ブーツをはく。しかしブーツの上から、白い絹のソックスの縁が見える。上体は白のレース、袖口は明るい縁でぴったりからだにあっている、真珠のような灰色の皮手袋、解いた黒髪に、白い羽毛のついた大きな明るい緑のレースの帽子。———ビアネッタは、濃緑のビロード服、パールをあしらったネックレス、袖のブラウス、胴の締まっていないひだの多いゆたかなスカート、スカートの下端はまがいもののトパーズをはめた銀色の縁。———ルミドラ・シュタインヘルツは、派手な、青と赤の島の海浜用ドレス。
(『パンドラの箱』岩波文庫刊より引用)

坂口 二幕は大広間での社交パーティなんですけど、上の引用部分を見ていただくと女性の衣装の指定がとても細かい。作家のこだわりがものすごく出ていますね。
植本 華やかなパーティの場面で、みんな羽振りがいいようすですね。
坂口 どこかの山にロープウェイを作るという登山鉄道の株を持っているというのがあってね。
植本 ちょっとしたバブル状態なんですよね。
坂口 でもその株が暴落しちゃったという情報も場面の途中で入ってきて大混乱です。
植本 カスティ-ピアーニ侯爵っていう女衒の様なことをしている新キャラも出てきますね。
坂口 かれは警察のスパイもしています。
植本 ルルと良い関係になって、彼女を売ろうとしてますね。
坂口 だからここはかなりひどい世界なんですね。
植本 この侯爵、良家の子女をカイロの娼家に売ったりしてますもんね。
坂口 まあでも、この場面でのてんやわんやぶりが描かれて華やかだと、次の場面の陰惨さの印象が強くなりますね。
植本 これドイツで始まって、フランス、最後イギリスのロンドンまで移ってるんですけどね。
坂口 で、ルルはだんだん落ちぶれて、お金もなくなって警察にも追われて移動して行かなきゃならない。

【第三幕】
(本文)
 外への窓は無い屋根裏部屋。屋根のてっぺんのあたりに、上の方にむかって二枚、大きな天窓のガラスが開いている。上手、下手の前方には、たてつけの悪いドアが一つずつ。下手のプロセニアムのあたりにボロボロの灰色のマット。
(中略)
ルル (はらりと肩の辺りまでたれ下がった髪をし、はだしで、いたんだ黒い服を着て上手前方のドアに姿をあらわす)
シゴルヒ いったい、どこに行ってたんだねお前? ———まず、お出かけの前に、髪にコテでも、あててたのかい?
アルヴァ 昔の思い出を新たにするために、ああやったんだよ。
ルル せめてあんたたちのうちのどちらかにでも、あっためてもらえりゃいいんだけどね。
アルヴァ 君は、これからの巡礼にはだしで出かけるつもりかい?
シゴルヒ ま、皮切りってやつは、いつだって、辛くてきびしいもんさ。
(後略)
(『パンドラの箱』岩波文庫刊より引用)

坂口 いよいよ三幕、場面はロンドンの淫売宿。なんかこの場面は鶴屋南北みたいですね。
植本 『桜姫東文章』とかね。
坂口 桜姫はハッピーエンドだけどルルは惨殺されてしまいますね。なんかさ、今まで優雅に暮らしてた人たちが、あっという間に最下層の暮らしになっていくっていう展開は面白いですね。
植本 ルルは淫売婦になって自分を安く売ってるんだけど、それよりもコトを致したいっていうのも大きいのかなって。
坂口 ここまでずっとついている伯爵令嬢ゲシュヴィッツの存在がすごい。彼女の話でもう一つ物語が出来ちゃいますね。ま、結局ルルといっしょに切り裂きジャックに殺されちゃうんですけどね。
植本 はい。

坂口 そうだ、この場面でのルルの客がそれぞれ『パンドラの箱』に出て来た役の人がやってるんですよね。
植本 ルルが身を落として、客を取るようになったときに来るお客の三人っていうのが、最初の『地霊』のときのルルと絡んだ三人なんですよね。
坂口 じいちゃん、画家、息子?
植本 息子のアルヴァはそのまま落ちぶれてこの場面にも出てくるから、多分、アフリカ探検家じゃないですか?
坂口 そうか。
植本 そういう人達が両作を通じて役を兼ねるという面白さ。仕掛けがありますよね。
坂口 俳優もまったく別のキャラを演じることが出来るので、たのしそうですね。
植本 その中で、ヒルティ博士っていうのが一瞬出てくるんですけど、お国訛りの言葉で話す人で、これ面白い役だなと思って(笑)。

(本文)
(前略)
ルル (快活に)まあ、入ってらっしゃいったら! おはいりよ! ———一晩中一緒にいてくれる?
ヒルティ博士 でも、わだすは、五スルングスきゃ持ツあわスがないのでしゅ、わだすは、外出するときは、それ以上持って出ぬことヌスておるのでしゅ。
ルル それで十分よ。あんただもの! とっても正直そうな目をしているんだもの! ———さあ、キスしてちょうだい!
ヒルティ博士 こりゃ、エッダい、どうスたらエエだろう。困ったことだ……
(後略)
(『パンドラの箱』岩波文庫刊より引用)

坂口 ルルは次々に変なキャラの男たちを引っ張り込んできます(笑)。
植本 もともとここがそういう場所なんですかね(笑)。
坂口 面白いよね。
植本 最後は切り裂きジャックに伯爵令嬢もルルも殺されてしまいます。

【本文】
(前略)
ジャック (地面に身をふせながらドアをなかから押し開き、ナイフをゲシュヴッツの体に突き立てる)


 (ゲシュヴッツは天井に一発放って、うめきながら倒れる)


ジャック (彼女のピストルを奪い、出口のドアの方にすばやく移って)ガッデム! 俺は、こんなすてきな口をまだ見たことがねえ。(汗が髪からぽたぽた垂れる。両手は血だらけである。胸で深く喘ぐように呼吸しながら、顔から飛び出しそうになった目で床を見ている)
ルル (全身で身震いしながら、荒々しくまわりを見まわす。突然酒瓶をつかみ、テーブルでそれを割って、こわれた瓶の首を振ってジャックに襲いかかる)
ジャック (右足をあげてルルをあおむけに蹴り倒す。それから彼女を床から持ち上げる)
ルル いけない、ダメ! ———ゆるして! ———人殺し! ———お巡りさん! ———お巡りさん!
ジャック 静かにしろ! もう逃げられねえぞ!(彼女を間仕切りの部屋に運んでいく)
ルル (内から)よして! ———よし! ———いけない! ———ああ! あ……
ジャック (暫くしてから戻ってきて、洗面器を花瓶置きテーブルの上に置く)ひと仕事だったな! ———(両手を洗う)まったくついてたなあ!(手拭いを捜す)こいつらタオルも持っちゃいねえのか! ———まったく貧乏ったらしい穴倉だ! ———(ゲシュヴッツの下着で手を拭く)この化けものにはおれは手出ししねえ、安心しろ! ———(ゲシュヴッツに)お前もどうせまもなくおしまいさ!(中央戸口から去る)
ゲシュヴッツ (ひとり)ルル! ———わたしの天使! ———もう一回顔を見せて! ———わたしはこんなにそばにいるのよ! このままずっとそばに———いつまでも!(立てていた肘が落ちる)ああ、なんてこと! ———(死ぬ)
(幕)
(『パンドラの箱』岩波文庫刊より引用)

坂口 最後の救われなさがいいじゃないですか。超救われないよね。
植本 後味の悪さね。最後の切り裂きジャックを作家が演じてるってどう(笑)。
坂口 (笑)。
植本 自分で物語終わらせるって、かっこいー。カッコ良すぎる。どう足掻いてもここまでいけないな。
坂口 それにしても文庫本の口絵の写真が印象的ですよね。カミさんなんでしょこのルル役の人?
植本 そうそう。それまで何度もルルを上演してきたんだけど、初めてルルにぴったりの女優さんがいたって言ってそのまま奥さんにしちゃった。
坂口 だけど彼は奥さんに殺されなかったんだね(笑)。

坂口 植本さんこの中だったらどの役やりたいですか?
植本 この中で?自分がもう若くないって最近痛感するんですけど、ちょっと前だったらアルバとか言うんじゃないかな。息子ね。
坂口 ああ。
植本 今だったら・・・女形が許されるなら伯爵令嬢ゲシュヴィッツだね。
坂口 全然許されんじゃないの?
植本 なかなか・・・だってそういうセンシティブな役をこのご時世にわざわざ女形を使うと余計なんかさ、批判されそうじゃない?
坂口 そうかな?
植本 そんな気がする。
坂口 この時の方が全然センシティブなんじゃないの?
植本 あ~~~宗教的に?
坂口 だって完全に否定されてるでしょ。今は賛否が、
植本 そうか。そうね、多様性、色んな価値観が、ダイバーシティだから・・・そうね。
坂口 まあ、いまはいまで生きづらい世の中になってきたなとは思いますけどね。

プロフィール

植本純米
うえもとじゅんまい○岩手県出身。89年「花組芝居」に入座。2023年の退座まで、女形を中心に老若男女を問わない幅広い役柄をつとめる。外部出演も多く、ミュージカル、シェイクスピア劇、和物など多彩に活躍。09年、同期入座の4人でユニット四獣(スーショウ)を結成、作・演出のわかぎゑふと共に公演を重ねている。

坂口真人(文責)
さかぐちまさと○84年に雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。以降ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。16年9月に雑誌名を「えんぶ」と改題。09年にウェブサイト「演劇キック」をたちあげる。

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