21歳の夏。シェークスピアと出会った日
ベルリオーズの《Grande Symphonie funèbre et triomphale(大葬送行進曲と勝利の大交響曲)》は、1840年7月28日、コンコルド広場からマドレーヌ寺院、グラン・ブールヴァールを経て、バスティーユ広場へ向かう行進のために響きました。
七月革命の犠牲者を追悼するために作曲され、ベルリオーズが、後ろから続く楽団に向かって後ろ向きのまま指揮をしながら歩いた、この約4kmの道の周辺には、今では50を超える劇場が集まり、世界中の演劇や音楽が日々上演されています。
2026年7月17日。
日本では、皇室典範等の一部を改正する法律案が、参議院本会議で可決されました。
女性皇族が結婚後も皇族の身分を保つこと。
旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎えること。
将来の皇位継承のあり方は、引き続き検討するとされています。
身分。
家を受け継ぐこと。
人は、どの立場で生きるのか。
その記事を読みながら、21歳の夏を思い出しました。
1995年、宝塚歌劇団で初舞台を踏みました。
初舞台から毎年、宝塚大劇場・東京宝塚劇場の本公演の合間に主演公演を務め、宝塚歌劇団4年目となる1999年、21歳。
3回目の主演公演で出会ったのが、シェークスピアの『十二夜 ― またはお望みのもの ―』でした。


宝塚歌劇団では、その公演のために書き下ろされたオリジナル作品が中心で上演されます。
私が主演した一回目、二回目の公演も、その公演のために生まれたオリジナル作品でした。
そして三回目の主演で出会ったのが、シェークスピアの『十二夜』だったのです。
『十二夜』は1601年から1602年頃に書かれたと考えられています。
現存する最古の上演記録は1602年2月2日、ロンドンのミドル・テンプル・ホールです。
その最初の上演記録から397年後。
私は宝塚バウホールで『十二夜 ― またはお望みのもの ―』の主演を務めました。
「シェークスピアだ!」
主演を続けながらシェークスピアに挑戦できることが、本当に嬉しかったのを覚えています。
王子の衣装。
ロングマント。
スターブーツ。
二本の剣。
八百屋舞台。
そして、小田島雄志先生。

それ以来ずーっと先生はいつもご連絡をくださいました。
宝塚に出会う前の幼い頃、私はオペラをよく観ていました。
『オテロ』や『マクベス』を通して、シェークスピアを知っていました。
けれど、自分が初めて主演でシェークスピアを演じることになった時、とても不思議に思いました。
「なんでこんなに永い時を経ていながら、新鮮で、なんて面白くて、感動できるんだろう。」
そして、
「ああ、シェークスピアって、こういうことか。」
稽古が進むほど、その思いは大きくなっていきました。
舞台の上にいたのは、約400年前の人ではありませんでした。
笑い、迷い、恋をし、
自分とは何者なのかを問い続ける人たち。
その感情は今を生きる私たちと、何も変わりませんでした。
その時、私は思いました。
「人の心って、時代が変わっても変わらないんだ。だから私は、400年という時間を忘れていたのかもしれません。」
その時に出会ったのが、小田島雄志先生でした。
すごく優しいおじさん。
シェークスピアの物語は、小田島先生を通して、現代の演劇として生きる日本語のことばになりました。
私が『十二夜』で生きた台詞も、その永い「ことば」の先にありました。
今、私はパリで暮らしています。
ベルリオーズが《Grande Symphonie funèbre et triomphale大葬送行進曲と勝利の大交響曲》を指揮しながら歩いたその道筋から少し南へ入ると、1680年の創設以来、フランス演劇を舞台の上で生かし続けてきた国立劇団、コメディ・フランセーズがあります。

劇場は、その日も街の中にありました。

劇場前の広場では、音楽に合わせて人々が踊っていました。
モリエール。
ラシーヌ。
コルネイユ。
シェークスピア。
チェーホフ。
イプセン。
ピランデルロ。
ベケット。
「モリエールの家(La Maison de Molière)」と呼ばれながらも、その家は一人の劇作家だけのものではありません。
そこには、シェークスピアをはじめ、数えきれない劇作家たちの言葉が、演劇とともに生き続けています。
フランス革命も、ナポレオンの時代も越えて。
だからこそ、21歳の夏に私が出会ったシェークスピアの言葉も、今なお世界中の舞台で生き続けているのです。
私も毎日のように、その道を歩いています。
1840年の夏に街を大行進した音楽。
1680年から受け継がれてきた劇団。
1602年の冬、最古の上演記録が残るシェークスピアの『十二夜』。
1999年の夏に出会ったシェークスピア。
コンコルドからバスティーユへと続くこの街の中で、音楽も演劇も、過去の記念碑ではなく、人々に感動を与える存在として今を生きています。
今日も私は、世界中の劇作家の作品が上演される劇場へ足を運びます。
約400年前に書かれた『十二夜』が問いかけたことは、2026年の日本でも、なお私たちの前にあります。
受け継がれるものは、今を生きる人が心から敬意をもち、あらゆる時代や演出を越えながら、人から人へ、次の時代へと渡されていくのだと思います。
21歳の夏に『十二夜』で出会ったシェークスピア。
あの日、私が舞台の上で受け取ったものは、今もパリの劇場で静かに息づいています。
あの日、小田島雄志先生からいただいた「ことば」は、今も私の舞台の中に生きています。

先生のことばは永遠に生き続けています。
小田島雄志先生に、心より感謝申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。
つづく。
大和悠河
YUGA YAMATO
文◇大和悠河 写真提供:(株)GOOGA





