【植本純米vsえんぶ編集長、戯曲についての対談】『八軒長屋-芝居版』 村上浪六原作 岩淵達治翻案

坂口 今回は『八軒長屋-芝居版』。
植本 どうしたの、これ?
坂口 珍品でしょ?基は村上浪六という大衆小説家の作品なんですね。それを岩淵達治さんが、なんと翻案、戯曲化。
植本 岩淵達治さんといえばドイツ文学の第一人者で、ブレヒトの全作品を翻訳されているという方ですね。
坂口 一方の村上浪六さんは明治の頃活躍されて、任侠物が得意だったと書いてありました。何か特別な読み方があったね、なんとか小説。頭の髷の形?
植本 あ、撥鬢(バチビン)小説だって。
坂口 今や、知ってる人はほとんどいないと思うんだ。
植本 その方が原作の小説で、なんと岩淵先生が翻案、戯曲化。
坂口 ブレヒトと撥鬢小説、面白い組み合わせですね。

植本 あとがきに書いてあったけど、岩淵さんがドイツで、公園の広場で井戸端会議をするみたいな作品を観たときに、これは15、16歳の時に読んだ「『八軒長屋』だ!」って思って、それでちょっと戯曲にしてみたらしいんですよ。
坂口 長屋の話だから八さんとか与太郎とか出て来て楽しい、ばかばかしい会話をするのかって思ったら、意外とリアルというか、
植本 人間群像みたいな。
坂口 そうそう、貧乏人間群像劇。
植本 何かグランドホテル形式(笑)。
坂口 すごいね。超貧乏長屋のグランドホテル形式って。

【ト書き】
序章
(雲の上)
舞台のスノコから下りているゴンドラ、下部には霞たなびく雲。そこに毅然と佇立しているのは明治天皇である。実際の明治天皇よりも映画で嵐寛壽郎の演じる明治天皇により近い。もちろん大元帥の制服。
琵琶の弾音を枕に、朗々と御製を吟じ始める。無調というより非調といったほうがいい、あの新年の歌合や歌留多会でおなじみのへんてこな節である(あるいは、東映映画『明治天皇と日露大戦争』参照)。
 ♪いかにぞと 思ひやるかな 戦の
  をはりしのちの たみのなりはひ
どうせ内容はほとんど聞き取れないので、右の御製を短冊に書いたようなフンドシが上手スノコからはらりと下がってくる。

【台詞】
明治天皇 朕の治世も三十九年を迎えた。明治三十八年には、国家の命運を賭けた日露戦争に勝利を収めながら、国力も限界に達し、あれほどの犠牲を払いながら賠償金すら支払われず、講和条約に反対の国民が日比谷の交番を焼き討ちするなど不穏の行動に出たのは遺憾であった。朕とても民草を思い幾夜寝られぬ夜を過ごしたことであろう。しかし、輾転反側するだけで憂いが消えるものではない。古来名君といわれるものは、民の生業を身をもって知ろうとした。朕より数十年後の日本帝国にはゴミ箱宰相といわれる禿頭の首相が登場した。庶民のゴミタメを開けてまわり、その暮らし向きを知るというのである。しかしこのようなスタンドプレイによって下情を知ったというのは烏滸がましく、彼によって指導された戦争は敗れることになるのだが、それは先の話である。
(『八軒長屋-芝居版』現代思潮新社刊より)

植本 これ、設定が日露戦争の終戦翌年の明治39年くらいだから。明治天皇が「民草が苦しんでるっていうのをね、ちょっと生活を見てみましょうか」みたいなね。
坂口 これ、大丈夫なのかな。けっこうリアルな明治天皇だよね。説明役?
植本 そう。新聞記者か何かに変装して民草の生活を覗きましょうっていう設定なんで。最初と最後が特にそうなんですけど。でね、どこだかが上演する際に、演出家の意向で明治天皇のところはカットしたらしい。
坂口 ダメですね。
植本 岩淵さんからするとそこがキモというか、やりたかったんだもんね。
坂口 そこを抜いちゃうとただの長屋の与太話みたいなことになってくるし、ト書きにも映画に出てくる明治天皇みたいなやつにやらせろみたいなことが書いてあったでしょ?

【台詞】
(前略)
明治天皇 朕はこれなる大元帥の軍服を脱し、せめて社会の木鐸といわれる新聞記者ふぜいの姿に身をやつして諸子とともに民草の生計を打ち眺めたいものだ。
また一首生まれたぞ。
  ♪みちのげにわれを迎ふるくにたみの
   ただしきすがた見るぞうれしき
 これは行幸で見るくにたみのうわべのすがたにすぎぬが、お忍びでもただしきすがたを見たいものと思う。思うなァ。思うなァ。(欠伸する)

《明治天皇の夢》
玉座で天皇がうつらうつらしだすと、ゴンドラが下降してくる。
舞台面に下りた衝動で夢から醒めた天皇は、機敏な動きとなり、髭をむしりとり、大元帥服の上着を脱ぐ。ズボンはもともとニッカボッカ型である。縞の背広、鳥打帽で、新聞記者もしくは作者に変身して舞台上手へ、脱ぎ捨てた衣装を乗せたゴンドラは、またスノコに上がっていく。以降天皇はナレーターとなる。

(『八軒長屋-芝居版』現代思潮新社刊より)

植本 岩淵さん自身も、自分で最後あんな風に終わらせちゃったみたいに謙遜はされてるんですけど、でもそうやりたかったんだよね。
坂口 すごく印象的でした。で、そこをカットして上演するのはあんまりですよね。

      
第一幕
【台詞】
ナレーター 昔の江戸も今の東京も同じ隅田川、つづく流れの小唄に唄う業平橋といえば、都鳥の昔も偲ばれて、いかに浮世のほかの風情かと思えど、実は橋の名をそのままの業平町に、喰うや喰わずの空腹をかかえて生甲斐もなき人間の捨場所あり。
 本所の業平町は東京の貧民窟の本場、その業平町の中にもあわれ再び現世に浮かぶ瀬なしと同じ浮世の落武者より見限られるほどの八軒長屋あり、いかなる人間の塒かと見れば、さても何の因果を繋いで宿縁ここに落ち合いしか、不思議に一種異様の別天地を作り出しぬ。
(『八軒長屋-芝居版』現代思潮新社刊より)

坂口 この長屋はトイレが外に1個しかないんだよね。
植本 雪隠ね。明治天皇が最後に出て来たところです。
坂口 一部屋がすごい狭いんでしょ?
植本 畳三枚って書いてあったから、三畳だよね。
坂口 相当な貧乏。
植本 隣の人の声が筒抜けっていうのがよく現れてるじゃない?

(『八軒長屋-芝居版』現代思潮新社刊より)

坂口 図に書いてありますけど、住んでる人もなかなか個性的ですね。
植本 そうね。
坂口 新体詩人。
植本 星影先生ね、山口星影さん。
坂口 ほんとは俗っぽいくせに、頑張って意地を張ってる。でもバカ。
植本 プライドが高い。
坂口 その隣には、辻待ちの車夫の熊さんと女房のお菊さん。この二人は落語的なカップルで人情味があります。他にもいろんな、あぶれ者っていうか人生失敗しちゃった人とか。
植本 要はお金がない人たちだからね。通りを隔てた反対側には、昔から巣くっているようなお婆さんがいて。隙あらば何か理由をつけてお金をせしめようと虎視眈々、長屋の人たちを狙っています。
坂口 でもあまり憎めないキャラなので、読んでいて助かりますね。
植本 そして女学生の堕落っていう、女学生崩れというか。たぶん恋人が刑務所に居るんだよね?
坂口 後から、この人、星影先生を利用しようとして、貧乏人同士の切ない話になったりします。

植本 全員貧乏なんだけど、それぞれの言葉遣いが違うのがおもしろいよね。
坂口 っていうのもあって、おもしろいって言えば、おもしろい。エピソード的に長屋の人たちが絡むんだけど、叙事詩的な演劇だから、無理に盛り上げない。
植本(笑)。
坂口 だからブレヒト的なのかなぁ。全然ブレヒトをわかってないで言ってますけど(笑)。

坂口 ブレヒトの話になるけどさ、『三文オペラ』って結構、盛り上げるよね?
植本 まぁ、そうね。
坂口 ぼくが観たいくつかの公演ではけっこう盛り上がると思って。
植本 で、ほらほら、面白い場面、エピソードがいっぱいあるんですが、
坂口 話題変えてます?
植本 あとから入居してきた役者さんがさ、同じ住人の占い師に見てもらうじゃない?「すごくあんたいいから、掴んだものを離さないように」って言われて、その言葉を真に受けて、師匠か何かの奥さんの腕を掴んで、こっぴどく叱られるっていう。
坂口 何やってもちぐはぐになってしまう面白さはあるよね。でもなぁ、これをもう一回ここから翻案すれば、もっとおもしろがれるところがあるような気がする。
植本 どういうふうに?
坂口 落語みたいにって言うか・・・。
植本 ああああ、
坂口 何しろ叙事詩だから。
植本 (笑)分かる、言ってることは分かる。もうちょっと人情寄りな、世話物寄りな。
坂口 この人生に失敗してきている大人たちも、陰気な感じが強くて、もう少し落語に出て来る長屋の住人みたいにならないかなぁ。
植本 落語の登場人物は、振り幅が広いっていうか、極端な人が多いからさ。バカならバカ!っていうふうに(笑)。
坂口 そうだね。それをここに望んではいけないと。
植本 普通の生きている人間として、登場させるとなると、なかなかね。良い部分悪い部分持ってるでしょ、人間はさ。
坂口 うーん、でももうちょっと盛り上げても大丈夫なような気がする。それこそレッシングのドラマトゥルクですね。

植本 原作はどうなってるですかね。
坂口 そうですね、これあれですよね。日露戦争の後だっけ? ある新聞社の新聞が全然売れなくなっちゃって、困ってこの小説を連載したら売れるようになったって。
植本 はいはいはい。それ最初に登場した明治天皇が喋ってるね。
坂口 だから、大衆的でおもしろいやりとりがあったと思うんですけど。岩淵達治先生が翻案すると、ブレヒト的になって、あんまりおもしろくなくなっちゃった?
植本 ・・・でも日露戦争には勝ったけど、庶民の暮らしは何一つ良くなってないっていうのを言いたいのかなって思いますね。
坂口 長屋の住人のやり取りがさ、何かこう読者の心に響くものがあったわけですよね。
植本 あれなのかな、よくあるけど、あ、自分はまだましだって思うのかな?(笑)。
坂口 ・・・そうかもしれないね。そんなこと言ってないで、お前ら小説を読んでみろよと言われそうですね。
植本 (笑)。
坂口 読んでもいいかなぁと思いますけど、ちょっと・・・お互いに忙しいからね。
植本 (爆笑)そこに逃げたら何も!(笑)。
坂口 本当だね、最低な人間だね(笑)。

坂口 やっぱりこれの面白さは明治天皇ですね。
植本 だって、ト書きにゴンドラで登場って書いてあったよ。わざわざゴンドラかって(笑)。
坂口 小説にはないのか。
植本 ないない。
坂口 時代的にも、・・・そこは彼の創作なんだね。
植本 そうそう。
坂口 だから、そこがミソなんだね。
植本 この作品をやるとなったらそこは外せないね。
坂口 そう、これは明治天皇の出番がないと、せっかく岩淵さんがこれ持って来て戯曲にした意味が無いんだね。
植本 幕切れもね、明治天皇が出て来ていきなり終わっちゃいますから。
坂口 そこのト書きに、「総雪隠のなかから大礼服を着た明治天皇が登場する」って、ここは笑えますね。

【ト書き】
総雪隠のなかから大礼服を着た明治天皇が登場する。一同、あっけにとられる
【台詞】
(前略)
明治天皇 これ、いい加減にせよ、隠亡とは何事だ。
熊 あンた、いッてェ何者だ。仁丹の広告みてェな服でしゃしゃり出なすッて。
西川 読めたぞ、やはりあの男は薬売りだ。この仁丹先生が卸しの大元だ。
明治天皇 下がりおろう。朕はムツヒトなるぞ。
熊 ムツヒトだかムツゴロウだか知らねェが、仁丹先生、それじゃァあンた、一つうかがうが、あの隠亡は何者かご存知かね。
明治天皇 かの者は忠勇なる兵士で傷痍軍人であるぞ。
西川 ははーン、廃兵か、それで薬の押売り。
明治天皇 廃兵などと差別用語を使うなど、もッてのほかだ。朕の御製を知らンのか。

   ♪いつの日か帰り来ぬべきいくさびと、
    ねごろはむとて遣りし使いは
 そのほうどもには、ねぎらおうとする心もないのか。
千三屋 この御仁は色狂気じゃなくて、誇大妄想狂だよ。そんなぺてんに引ッ掛かるようじゃァこの石作、おまンま喰ッちゃァいられねェ。
明治天皇 無礼者、この菊の御紋が目に入らンか。
熊 そンなもン出したッてこッちは欺されねェ。狂気でなきァ交番にひとッ走り行ッて不敬罪でしょッぴいてもらうぞ。どうせ化けるならもッとうまく化けろ。これじゃァ花野露雄の馬の脚より下手くそだぞ。(明治天皇をつかまえようとする)
(『八軒長屋-芝居版』現代思潮新社刊より)

坂口 最初に植本さんが言った、何だっけ? ホテル、
植本 グランドホテル形式。同時期、同じ時間に他で何が行われているかっていうのができるわね。
坂口 でもさ、グランドホテルはホテルだから高低があるけどさ、これ地べたじゃん? 地べたで八軒見せられないね。
植本 四軒、四軒で盆だね。
坂口 ははは。客席が廻る劇場でもできるね。
植本 (笑)。
坂口 盆だったら歌舞伎の人がやった方がいいね。前進座とかさ。あ、前進座って歌舞伎って言わないのかなぁ?
植本 (笑)いやいや、いいんですよ。前進座はもちろん歌舞伎の演目をいっぱいやってるんですけど・・・「歌舞伎の人やってみたらいいじゃん」って。無責任(笑)。
坂口 でも雰囲気的にも合いそうじゃない? 
植本 前進座合いそう!
坂口 やったー!
植本 じゃあ、今日のまとめは前進座さんでお願いしますと。
坂口 上手にもって行けるかなぁ・・・。
植本 今の言葉は要らない「上手にもって行けるかなぁ」って、どっから目線なの!かなり毒入ってるよ(笑)。
坂口 すみません、ではぜひ前進座さんでやっていただきましょう。
植本 すごい! ご指名です。

坂口 以下、ラストシーンです。

【台詞】
(前略)
明治天皇 まァそこまで思い詰めンでもよかろう。ただ、ほどほどにせよ。もう朕の夢の時間の終わりは迫ッておる。この一句をはなむけに朕は宮居の奥に戻ることとする。
   ♪国のため、たたれずなりし民草に
    恵の露をかけなもらしそ

   雲が降りてくる。天皇は雲に乗り、眠り始める。上に達したときに目覚める
 うむ、また一句、
   ♪うたわせてきくぞたのしき国民の
    言の葉ひろくめしあつめつつ

   下界の長屋はすでに暗黒である
   雲は一文字の陰に消える
――幕
(『八軒長屋-芝居版』現代思潮新社刊より)

プロフィール

植本純米
うえもとじゅんまい○岩手県出身。89年「花組芝居」に入座。以降、女形を中心に老若男女を問わない幅広い役柄をつとめる。外部出演も多く、ミュージカル、シェイクスピア劇、和物など多彩に活躍。同期入座の4人でユニット四獣(スーショウ)を結成、作・演出のわかぎゑふと共に公演を重ねている。本年10月に花組芝居を退座。

坂口真人(文責)
さかぐちまさと○84年に雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。以降ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。16年9月に雑誌名を「えんぶ」と改題。09年にウェブサイト「演劇キック」をたちあげる。

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